★天使になった我が子に会うまでのお話。ー葬祭業で培ったスピリチュアル思想で乗り越えた❓家族崩壊・妊娠中絶・異常妊娠・誕生死・マタハラ・子宮頸ガン後遺症・不妊治療・動物愛護ボランティア活動はじめる。を経験した話し…【誕生死編①】
結婚式の事など考えられるわけもなく、お腹の子の浮腫みが心配で心配で…胸がドキドキした。
足早に式の打ち合わせを済ませ、家に帰り、テレビをつけると大津波が陸前高田、気仙沼を飲み込んで車や家が押し流されいる映像が目に入った。
その日は、2011年3月11日だった。
色んな情報が目に入るそんな日で、私は、頭がおかしくなりそうだった。
結婚式
異常が発覚して、数日しか経っていなかったが、日取りを取り決めていたので式を執り行う事に…
頭の中はお腹の子の事でいっぱいで不安の中、25才の誕生日に小さな氏神様の神社で家族だけで、慎ましく神前式を挙げた。
叔母に借りた、鶴の刺繍が前面に施された白無垢に袖を通し、真っ白なたくさんの百合の花を頭に挿し、私のお腹は妊娠5か月ですでに大きくなっていて、まだ見ぬ我が子をかかえての式だった。
と言われたが、私は初めてだったので、こんなもんじゃないの?と思っていたが…
この時すでに、私のお腹は異常妊娠の兆候が出ていて、普通ではなかった。
悪阻はすでになく、ただお腹だけが大きくなっていて苦しかったが、病気が発覚してからは、
お腹の子がより一層、愛おしく思えてきて…大切な命を、守りたかった
絶対大丈夫!と信じて神に祈り続けた…
紹介状はじめての大学病院
結婚式の2~3日後、胎児水腫の可能性ありと書かれた紹介状を持って、家から車で1時間くらいの場所にある大きな大学病院へ向かった。
夫と診察室へ入ると、真面目そうだけど、私達夫婦の目を見てちゃんと真剣に受け答えしてくれた
臨床遺伝専門医の先生がいらっしゃって、こう説明してくれた…
病院に行くまでに【胎児水腫 赤ちゃん むくみ】でぐぐりまくっていたので、何となく説明されてある程度は覚悟していたが、染色体異常・ダウン症・18トリソミー・13トリソミー…ダウン症は知っていたが、まさか自分の子供が?
障がいを持って産まれてくる????
胎児水腫というのはただの病気ではなく、障がいの可能性があるという事を知った。
その日は、エコーとアレルギー検査と胎児の染色体異常の可能性のお話しと…
羊水検査を進められて診察は終わった。
待合室で待っているあいだ…羊水検査の用紙を見つめ、夫と話しをするが、検査は保険適用外で10万ほどするし、もし検査をしてお腹の子の障がいが、わかったとしても中絶は望んでないし、そもそも法律でもうすでに、出来ない数週だし…羊水検査する意味ある?という感じで夫は話していた。
私は、検査で針をお腹に挿すという行為がもの凄く恐怖で痛そうだし…悩んだ。
この頃は、採血で染色体異常がわかる新型出生前診断というものがまだ実施されていなかった。
そして、今後はこの大学病院で定期検診をする事になった。
水族館 思い出作り
もしかすると…お腹の子は死んでしまうかもしれない?そんな不安の日々を過ごした…
不安で不安で不安で日中、私はお腹の子の事だけを考えた。
そんな日々を送る中、夫が言った…
たいき(お腹の子の名前)が喜びそうな事してあげよう。
「さかな」だと直感で思った。というのも…私は妊娠中もスピリチュアルな体験を何度もしていた。
夢で知らせてくれた男の子の妊娠。妊娠中、鯉や龍や魚と言った、生き物が夢に何度も出てきたり…
子供をおぶって堤防を散歩していると、黒い小さな魚を発見して子供が「お!」と喋った夢を見て私は思った。あぁ~この子やっぱり、さかな好きだなぁ~と。
私はお腹が張り歩くのも苦しいほど大きなお腹をかかえて、夫とお腹の子と3人で水族館へ出かけてた。
きっと見えてる?感じてるよね?たくさんさかな見れたかな?と思いながら。
そして、あるイラストが目に入った。それはまさしく今のカタチの、お腹の子に似ていて
微笑ましくなるイラストだった。水族館へ生きてる我が子と夫と来れてよかった。
神棚の音
感じるはずの胎動も感じないまま、5月に入った、そんなある日…寝室で、横になっているとふと
「伊勢神宮」と頭によぎった。リビングに居た夫が寝室に入って来てたので夫に言った
すると夫は驚いたように…
神の啓示?伊勢神宮
私たち夫婦は、夏から秋頃にかけ、年に一度、三重県にある伊勢神宮へ足を運んでいる。
子供を授かったのも…伊勢神宮へ参拝した直後に妊娠した事になるので…
今回の妊娠は…お伊勢参りに行った事で何か…深いご縁を感じていたー
妊娠前に、参拝した時、印象深かったのが天照大御神の祀られている本殿の前で目を瞑り手を合わせていると…目を瞑っているのにも関わらず…
ファーッと白い光とキラキラと輝く…何かを感じた。
初めてのことだったのでちょっとビックリしたけど、参拝後は清々しく神様からパワーを頂いた様な気になった。
お願い事も本当は神社ではあまり、しちゃいけないんだろうけど3つの願い事をするとすぐに叶った。
お神札を購入して、自宅の本棚に立てかけて置くようにお祀りしていたのですが…
普段、別にいいじゃん?って感じの私の性格なのですが…それが、何故か無性に気になってしまい
夫にその胸を話したー
その後、神棚を購入して、その中にお祀りし直した直後だったー
特に子作りも意識していなかったが、自然に妊娠していた。
安産祈願へお伊勢参り
子供の病気が治る様に…私達は神にすがる思いで伊勢神宮へ向かった。
2011年5月1日だったー
草津のインターで、私の携帯電話の着信音が鳴ったので、見てみると母だった。
電話越しに…普段私達の前で、涙を流す事はめったにない母が、泣きながら…
突然の、祖父の訃報だったー(母方の)
脳梗塞で倒れ入院していたが…まさかこのタイミングで逝ってしまうとは…
すでに草津だったので、とりあえず急いで参拝を済ませてからおじいちゃんのとこに行く事にした。
その時…私達夫婦は、子供が無事である様に…頭がいっぱいで祈るしかなく…
神でも、仏でも何でもいいから、すがりたい気持ちだったので、おじいちゃんには申し訳なかったけれど…
子供が無事に産まれてくる事と、おじいちゃんが迷わず天に還れる事を祈り…願い…
参拝してすぐに帰った。
おじいちゃんのお葬儀
祖父は、お金持ちで大きな家に住んでいて、外車に乗り…生前は商売をしていた。
夫とおじいちゃんは、同じ誕生日の同じ血液型で、経営者という同じ立場なので共通点が多く、おじいちゃんの最後のお誕生日は、ささやかだけど、夫と合同でお祝いもした。
優しくて…男らしく…お金の羽振りもよく…立派な人だったー
葬儀は祖父の大きな自宅で執り行った。祭壇には、胡蝶蘭の花を一面にあしらい…真っ白で本当に綺麗だった。数多くの祭壇を見てきたが…今まで見る祭壇の中で一番美しかった。
祖父はテレビっ子だった。祖父の愛用したテレビに、生前の家族で映るメモリアル写真を何枚か
音楽と言葉をのせたスライドショーを流すと、たくさんの参列者がモニターを見て涙した。
そのスライドショーを制作したのは、夫の会社の従業員さんが徹夜で作ってくれたものだった。
私はというと…お腹が張って苦しくてあまり身動きがとれなかったが…
おくりびととして、最後に何かおじいちゃんにしてあげたい…そう思いメモリアルコーナーを作った。
祖父がコレクションしていた帽子に、メガネ、賞状に、トロフィー、みんなで写った家族写真…
先に旅立って逝った祖母と愛犬の写真もー
参列者はそのメモリアルコーナーを通って焼香に向かうので必然的に、見てくれていて嬉しかった。
さすがにしんどかったので、火葬場には行かず…自宅で待機した。
そして葬儀がすべて終わってほっとしたのも束の間の出来事が・・・
【誕生死編②】へ続きます。
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