元とび職の不良が海外名門大学を卒業して今更気づいたこと。通称UCバークレーでのぼくのやったこと

親父が稼いだ大切な金を使うなら最高の環境が整った大学で学びたい。そう思い思い切って「てっぺん」を目指そうとアメリカに留学しカルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーを最近卒業した。


以前『本編】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと。」の話』という記事を書いたがその卒業編である。(http://storys.jp/story/9679


     


結果は自己責任?

「オレ昔不良だったんです」と言う人を見るとダサいなーといつも思う。

あんな感じにはなりたくないなーなんて思っていたら、おもいっきり昔不良だったネタを利用してStorysに記事を書いた。


普通なかなか留学なんてできないのに僕は恵まれていて24歳の時からアメリカのバークレーで勉強した。そこで自分が自頭を理由に努力や工夫を怠っていたこと、世界のエリートは誰にも負けない努力家集団だったこと、いつから勉強を始めてもいいということ を共有できたら少しでも誰かのやる気に火が灯るのではと思っての行動だった。だから公開したくもない中学時代の写真と昔のエピソードを添えてStorysに記事を書いた。


そのお陰で運良く記事がバズった。批判も沢山あったけど多くの人に読んでもらうことができた。「すごいね」「よくやった」「良い家族だね」など嬉しいメッセージも沢山もらった。


まわりの助けがあったからうまくいった。」というメッセージもあり、本当にそう思う。


ただその時にすこし違和感があった。それはうまくいかない時や失敗した時に自分の頭にあるのは


「それは自分のせいだ!」と考えていたから。


同じ人の行動でも結果がでれば周りのおかげだと感謝し、結果がでなければ自分のせいだと自分を責める。自分を奮い立たせる意味ではこの自己責任という考え方が悪いことはないかもしれない。でも僕は安易に自己責任という考えを使ったり他人の場合にも適用しようとしたりすることに違和感があった。



「それって自己責任でしょ?」そうい言った瞬間に思考は停止する。

成績が思うように上がらない時に「うまくいかないのが自分のせいだ」と思ったら、ただ闇雲に今まで同様のイケてない方法をやり続けてしまう。


「なんかやる気があがんないなぁー」と思った時も、それは自分が怠けているからだと思いひたすらグーグルカレンダーが埋まるように勉強時間を増やしプライベートな時間を減らしていった。自己責任だと思うことで、それ以上先に思考を巡らせることを怠った。そんな時は大した改善はできなかった。


それ意外にも、卒業間際までひたすら色んな問題にぶち当たりまくった。


UCバークレーという大学では意図的に学生がつまずくように設計されている様にすら感じた。尋常じゃない量の課題を与えられたり、どう考えても解けない難解な課題を渡されると「なんて自分はできないんだ」と思いつまずく。一人でがむしゃらにやってどうにかなることはあまりなかった。


「まわりの力が必要だった」


当たり前だけど一人で出来ることなんてほんの少しだ。どう周りと協力し、貢献して前進するのか考えることが必要だった。まじめな性格の為か、自己責任だとすぐ思ってしまいその瞬間に思考が停止し客観的に捉えることができなくなった。そんな時に思った


いや待てよ。うまくいった時はまわりのお陰だって思うのだから良い結果を出すには自分だけでなく、まわりとうまく関わらなきゃダメじゃん」そう思うようになった。


それから少し行動が変わった。


モチベーションなんて勝手に上がらない。熱い人のところに行って話を聞いてモチベーションを保ったり、やり方が本当に悪いのか、それとも戦うフィールドを間違えているのか冷静になって考えたりした。


まわりから助けをもらう為には自分が出来る範囲で相手に貢献し、信用がなければ得られない。もちろん人間性も問われる。 手書きのノートをグーグルドキュメントにすべてタイプして共有したりスタディグループを作るなどして効率ばかりでなくむしろ普段時間の無駄だと思ったり面倒なことを率先して行うことで少しずつ助けを得られる関係を作っていった。


なぜ結果が出ないのか?なぜ全力を出せないのか?いつも考えた。毎期新しい科目、新しい挑戦をすると外的要因が変わるのだからその都度試行錯誤して新しい施策を見つける必要があるのであった。完璧な方法なんてない


それと、自分の中にある「自分のせいだ」という思い込みが前進を妨げる要因だと今更気づいた




そして卒業

期末試験は一科目につき3時間ある。4科目受講していたのでまるで国家試験かのような感じだった。最後の試験が終わった翌日にソッコーで卒業式があった。


でっかいアメフトスタジアムに学生が集い卒業式を行った。5年間の計画で留学を始め、あっという間に時間が経った。終わってみて思うことは「家族プレーが大切」だということに尽きる。




             


人を動かすために行動で見せる

僕が19歳でとび職をしていた頃に親父は会社で表彰された。これが簡単にさらっとできてしまうものだとあまり感動はなかっただろう。苦手意識のある営業というフィールドで親父は行動を変え続け16年間歯を食いしばりながら、ケツを割ることなく努力しその行動と成果を僕に見せつけたことが、僕が前向きに行動しようと思えた大きな影響だった。


何かに一生懸命に取り組むためには目標やロールモデルが必要で親父の行動見たことで「親父のようになりたい」と新しい目標になり自ずと勉強しようと思えた。


山本五十六の格言の最初の言葉がどれほど大変かを痛感した。

やってみせ 、言って聞かせて、 させてみて、 ほめてやらねば 人は動かじ


まさに親父はやって見せるという役割を全うしたのだ。



継続するためのコミュニケーション

自分のモチベーションだけに頼っていたら僕のような弱い精神の持ち主はモチベーションを保ち、継続的に努力することはできなかったと思う。


渡米してから事あるごとに親父はスカイプしてきて色々話した。会話の大半は親父の話を聞く感じで、親父が「こんな本を読んだ、こんなニュースが話題になっている、社会学や経済学は量子力学てきアプローチが必要になる」などだんだんわけわからん話をされ、自分の知識の乏しさを再認識し、新しい知識を親父から吸収した。


いつかオレも対等に話せるようになりたい」そういつも思うことがモチベーションになった。


母も定期的に手紙を送ってくれた。それが精神的な支えになった。最初は思春期だった頃の感覚が若干残っていたこともあり、手紙が両親から届くと表面では「別にわざわざ書かなくていいのに」という感覚があった。そういった見栄なく、純粋に捉えるとやはり手書きの手紙をもらうことは自分の存在意義を感じることができるので重要なコミュニケーション方法だった。こういった会話なしには自分の意識を常に高く保つことはできなかった。継続するために必要なコミュニケーションが自然と僕の家族はできていた。


帰国前に荷物整理してたら出てきた両親からの手紙。


     


完璧でない方がいい

僕達家族は一人ひとりが不完全で未熟な部分を持っている、でもそれがとても重要だったように思う。


親父は論理的でものすごい知識人である一方で、人の感情を読みとり相手に合わせて会話をしたり、贈り物を送るなど細かな気配りなどが苦手な人だった。


母は親父の苦手な部分が得意だった。親父と母はうまく会話をし、今まで多くの問題を克服してきた。そんな母は素直に自分を表現することが得意ではないので、一度ケンカが始まるとなかなか謝ることができず収拾がつかなくなる。


僕は子供の頃からこの両親のケンカをよく抑えてきたので互いの思いを汲み取り、相手に理解されやすい形に言い換えてケンカを収拾させることに気づいたら長けていた。だが基礎知識が乏しく気配りなどもかなり適当なので両親から学んだことは海外で勉強し、人間関係を作る上でとても役立った。


相手が完璧でないからこそ「自分の助けが相手の為になり、役立つ」と思うことができる。相手が自分と同じでないから一緒に行動し助け合うことに意味がある。違う強みを持っているから相手を尊敬することができる。弱みをあえて見せるのでなく強みにフォーカスした結果として弱みが表面化し、それが人間的な魅力となり家族の間に調和が成り立ち、会話が生まれた。これが奇跡的にできていた事が僕の家族の強みで家族プレーができた理由だと思う。


チームプレーの重要性はUCバークレーでも同じように感じた。大学はユニークな魅力を持つ学生を入学させる。強みにフォーカスすれば自ずと弱みが顕在化する。その弱みが人間的な魅力になり人が助けようと思い集まりチームが機能していく。


自分にない強みを周りが持っているから相手を認め尊敬できる。くだらないライバル争いがチーム内からなくなり自分の強みにエッジをかけようと更に努力しどれだけ尖るかという新しい競争が生まれ活力があった。完璧な人とはチームを組もうとは思わない。きっと一人でやって行けるだろうと思うから。弱みがあった方が一緒に行動したいと思う。チームで協力するから一人では到底できないような目標を達成することが可能になる。だから完璧である必要なんてない。こんな当たり前のことを僕は5年間の留学期間で家族とUCバークレーから教わった。


最後に

卒業し現在は社会人教育を事業とする企業で務めています。今後も変わりたいと思う人がエネルギーを完全燃焼できるような場の提供に全力を捧げていくつもりです。今の僕にできることは少ないですがまた継続的に学んだことや価値ある情報を共有したいのでブログを新しく始めました。もしご興味いただけたら嬉しいです。

ブログ:takuyasuzuki.com

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