小学2年生で心臓の病気になり、諦めかけた妊娠~出産。彼女が成人して子供を産むまでの話し。
お見舞いに私の大好きなキキララグッツをたくさん買って来てくれた★
彼女の優しさ、それだけで、私は目の前にある胎児の病気という試練から少しでも救われた気がした。
何よりも、傍に居てくれるだけで安心感があった。
小さい頃から入院して病気を経験した人。そんな彼女がもの凄く頼もしく感じた。
そして当時、お付き合いしていた彼女の彼氏も一緒に来てくれた。
病院デートってわけですね(;^ω^)
二人とも私のお腹もさすってくれて、まだ見ぬ子供にいっぱい力をくれた。
息子の名前も呼んでくれた。
けっきょく、病気を選んで産まれてきた我が子は、産声もあげることなく…
救命処置をするも48分の命で逝ってしまったー
心臓は強かったから、何とかしてあげたかったと…
小児科の先生から後から聞いた。
息子が亡くなった当初は、イルカのぬいぐるみや、お菓子や、イラスト詩や、
息子宛に書いたお手紙など彼女にもらった。
私の息子が亡くなって半年後…彼女は彼と結婚するー
結婚当時はやっぱり子供を産めるかどうかなど、悩んだ末だったと思う。
私は…お骨を前にして、クリスマスの夜、息子にお願をした事がある。
○○ちゃん所に赤ちゃん連れてきてあげてほしいなぁ~
↑彼女
叶うといいなぁ~☆彡そう願い・・・
1年後…私は不妊治療を始めるも、子宮頸がんになってしまう。
異形成の初期の段階でレーザーでくり抜く処置をした。
その頃、彼女はというと…長年の思いを実現させるため
妊活の準備に入った。数年前より医学も進歩している。万全の体制を整えるため
心臓の状態を調べる検査をしたりして…医師に妊活OKをもらった矢先…
ガン検診で、彼女も子宮頸がんだった。
チョコレート嚢腫など過去に婦人科の病気も患った事があると聞いた事もある。
若い女性に多い子宮頸がん
ほっといたら死に至る。幸い私達は、初期の段階で同じ処置をして治った。
ガンの術後の検診で何と!
彼女は妊娠している事がわかった!
神様は見ていたのだー
小学2年生で生死を彷徨って生き抜いてきた彼女の事を…ずっと
子供が欲しいと言う願いを聞き入れたのだろう。
頑張ったご褒美だったに違いない。
しかし妊活段階で、医師からハイリスク妊婦になると言う事を告げられていた。
出産時に赤ちゃんが低血圧で産まれる可能性。
場合によってはICDを入れなくてはならない可能性。
(ICDは、命に関わる不整脈を治療するための体内植込み型装置)
出産後、病気が悪化する可能性も考えなければならい。
産まれてくる子供に、病気が遺伝する可能性は1/2
子供を授かったと同時に・・・不安も大きくなっていた彼女だったー
そして…経過は、検査入院をしたりもしたが
母と、叔母と彼女と私と4人で一泊の旅行にも行った。
お腹が大きくなっていたが温泉旅行へ
産まれたら、なかなか行けないし・・・
この4人で旅行に行って見たかったと叔母が言っていた。
そして…妊娠後期に入り管理入院する事になった彼女。
予定では心臓に負担がなるべくかからないように下半身麻酔の無痛分娩で
産むと言う事になっていたが…
予定日まで1か月くらいだった時の事ー
NSTで(胎児心拍をモニター)赤ちゃんの心拍が落ちてしまった!
動揺した彼女も不整脈を出してしまい・・・急をようした
全身麻酔の緊急帝王切開だった。
無事、女の子が産まれた!
前日、何故か…たまたま彼女に頑張りや~!というメールを入れていた私。
そういう事か~と思った。
神様がきっとそうさせたー
赤ちゃんは低体重で産まれてきたため1か月ほど
NICUに入っていた。
実家から小学2年生の頃からずっと…通い慣れしたしんだ病院の道を
彼女は車で毎日、母乳を届けた。
母の愛情で今は、すっかり大きく成長した彼女の子。
妊娠~出産まで、彼も不安で不安で仕方なかったと思う。
一度に、子供と妻を失う恐怖と闘ったのだから。
そうして…家族3人歩んで行く
とある、一家族のSTORYでした。
完
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
著者の安部 みきさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます