どう思われるんだろう。

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背筋をのばして、しゃんとする。


去年と比べて、今年は就活の解禁がちょっと遅かった。それを肌で感じた就活というイベント。

僕自身も、自分のやっていきたいこと・将来のビジョンと向き合いながら、それを開始した。


言葉にするなら、まさに戦国。


僕は極力、スーツを着ない就活をした。

尖って、目立ってがしたかったわけじゃない。

そもそも服装とはより鮮明にその人の人間性を映し出すものだと思う。しかもより短いコミュニケーションにおいて、それは尚更影響力を増す。

だから、僕は全力で就活という舞台の中で踊るべく戦略と計画を練った。


洋服の○山、コ○カなど、就活生が就活の始まる時期に毎年毎年同じうたい文句でスーツ2着をセットにして売る。これらが本当に自分にフィットして、似合っているならそれでいいと思う。

でも現実に横並びに就活生を見ると、貧相に見えるような着こなしの人はたくさんいる。そういう人を横目に僕はもったいないと思った。


学生複数人が一緒の面接でも、

私はサークルで、〜〜〜〜に気を配り〜〜〜〜を頑張りました。

友達と長い時間を過ごす中で、自分の色んな面を知ってもらう。このコミュニケーションは今までの人生の中で当然みんながしていることだ。

しかし、自分を知らない人を前にして、自分の服装(自分の印象を左右するかもしれない装備)に気を使っていない人が、きめ細やかな配慮ができる人間に見えるだろうか。

極論かもしれないし、反論もいっぱいありそうだがこう取られる可能性がある。


このような人が、「自分は服のことおも気を使えないくらい他のことに時間を裂いていて、今はそのことで頭がいっぱいです。」なんで思っていたら、

そんな人は今のこの日本の就活のシステムなんかに乗らずに自分で道を開拓していく気がする。


スーツとは本来フォーマルなものだ。

就活とは、会社の人と正式な場で会う行為なのだから、基本はスーツだ。


ご自由な服装でおこしください。

こんなに自分を表現できるチャンスがあるなら、僕はその場で一番適切な方法を考え、自分として一番適切な服装を考える。


自分が社会や会社にとって、どう思われたいか。だから自分はどうするのか。

就活とは短いコミュニケーションの連続だ。

友達みたいにずっと一緒にいてくれて自分を評価してくれないし、家族みたいに優しくひいき目で見てくれるはずもない。


だからこそ、そのコミュニケーションの中で、自分が考えることは沢山あるはず。


少なくとも、大学や大学院、専門学校などを卒業したりして、社会への第一歩の土地はそこになる。

踏み出す一歩の先が、泥沼なのか、芝生なのか。

分からないから、人はよりよい方向を選べるよう努力する。


その努力は次の始まりの背中を押してくれる。

終わりとか始まりとかそれは時間の切り方でしかないけど、自分の中で最高の終わり方ができる人は

その終わりは最高の始まりなんだと思う。

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