ひとりであるということ
丸一年というには少し早いけど、思い出したので書いておくことにする。
ずいぶん昔、もう10年以上も前にネットで知り合ったある男性がいた。仕事を程々にこなしながら、家庭を持ち、クラブミュージックが大好きで……といったごく普通の男性だった。
それから7,8年近い時間を経て、twitterでその人から「お久しぶりです」みたいな感じでリプライがあって、なんとなく近況を把握するような感じになった。
TLを見ていると10年前とは色々変わっていることを知ることになる。娘さんがいたこと、離婚したこと、一時期心を病んでいたが、フリーランスで仕事を再開したこと、東方にはまっていることなど。その他日常のこまごまとしたこと。
ある日、その人が自殺するとさらっと書いた。要約すると、仕事がなくなって生活が困窮する可能性が出てきた。ただ、それだけ。
最初は「ひとりきりなんだから別に破産でもなんでもしてとりあえず生きていけばいいんじゃないのかな」と思ったけど、少し考えてみると、ああ、そういうことではないんだなと思い当たった。
おそらくあの人は「こうでありたい」という理想というか立ち居振る舞いのイメージがあって、それが維持できないという現実に突き当たったんじゃないかなと思う。
自殺するというコメントに対して多くの人が色々なメッセージを送るけど、彼は淡々と、でも少し淋しげにコメントを返していく。少しの不満と不本意だという意思表明、でもそれはしょうがないことなんだという強い諦めの意志。
文字のみの記述と会話のみを連ねることによって純化された自意識は尊かったのだろうし、家族を失って一人でいる時間にそれはいやましていったのだろう。
誰しも年をとっていく。かつて輝いていた頃には決して戻れない。それでも自分が描いた自分の望む自分の姿を守りたかった。
よく、自分自身と向き合うという言い回しを使うけど、言葉以上に現実のそれは過酷なことなんだと最近よく思う。
とりあえず、ふと思い出したことのメモ。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

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