幸薄い人生ですが、大人になってできた友達に救われました。その2

前話: 幸薄い人生ですが、大人になってできた友達に救われました。その1

 続きです。

 工事関係の社長と母が結婚したいと言い出しました。祖母と私は「あの人は絶対何かやらかすから止めた方がいい」と猛反対しました。祖父とは酒を飲んで意気投合、弟は物で釣られていました。結局、反対を押し切って再婚しました。反抗期だったのもあり、父に対する態度は悪く、父も言うことを聞かない私が気に入らないようでした。


 しばらくして悪い予感は的中します。

 ある日、財布からお金が無くなり泥棒だと騒ぎになりました。犯人は弟でした。毎月決まったお小遣いはもらっていなかったのですが、必要であると言えばいくらかはもらえたので不自由はなかったのですが、どうしても言えない理由があって盗んだようでした。

 父は弟を山へ連れて行ってボコボコにして帰ってきました。工事現場でバリバリ働く男の力でやられて酷い有り様でした。弟はいじめられていて「お金を持って来い」と脅され、財布からお金を盗んで持って行っていたと白状しました。それに対しても「お前が弱いからナメられるんだ!」と弟を責め、「男なんだから強くなれ!」と厳しく当たりました。

 弟が暴行されたのを聞いた祖母は激怒し、父に「しつけだとしてもやり過ぎだ!」と怒鳴り、母に離婚するよう説得しましたが、母は聞かず…。

 母は妊娠していました。高齢出産であったし祖母も私も反対しました。母が「どうしても産みたい」と説得し続け、祖母も「一人だけなら」と許しました。


 進路を考える時期になり、私は家から近い進学校に行こうとしましたが、再婚した父は「女が大学に行ってどうするんだ!高校を出たら働いて親孝行するのがスジだ!」等と言って進学校には行かせてもらえませんでした。医者になるという夢は叶いそうもなく、父に対する態度は更に悪くなりました。

 母も『父とそういうことをした汚らわしい娼婦』にしか見えず、自然と話さなくなりました。面談のために母が学校に来ると大きなお腹を見て周りも察し、ヒソヒソ話していました。とても恥ずかしくて、逃げ出したくて、消えてしまいたかった。『どうしてこんな人が親なんだろう』『なんで再婚したんだろう』『何故避妊してなかったんだろう』と思いながら、母と担任が話すことに小さな声で返事するのがやっとでした。面談の結果、偏差値40の商業高校を志望し、ほとんど勉強する必要が無くなった私は周りが必死に受験勉強する中、遊んで過ごしました。

 

 妹が産まれました。初めて触れる小さな命に戸惑ったのを覚えています。妹は可愛いけど、母はどうしても許せないままでいました。母が母の姿で赤ちゃんの世話をしていて、『あ、お母さんなんだ。この人』と、当たり前な事に気付かされました。まともなご飯も作れない、家事もあんまりしない、寝てる姿か化粧して出て行く姿か…今まで母親らしいところを見たことがなかったから余計驚きました。

 妹の世話で忙しい母に代わり、私と弟が家事、炊事をしました。弟の方が料理上手で、料理担当になっていきました。


 高校に入りました。周りは不良だらけ。女子もスカートが短く、化粧をし、タバコを吸って、ギャル雑誌を読んでいる子ばかり。当然馴染めるはずもなく孤立しました。


 ネットで知り合った人と交際をスタートしまいました。遠距離で会ったこともないのに彼氏というのも変な話かもしれませんが、本気の恋だと思っていました。当時はネットで知り合った人に殺されるニュースが流れていたので、周りは危ない人じゃないかと心配していました。わかりやすく周りに自慢できることが「彼氏がいるんだぞ」ということだったからです。


 部活動は文芸部を選びました。活動内容は漫画を読んだり絵を描いたりBL小説を書いたりで、実質オタクサークル。同人誌即売会に出す物を作るのがほとんどでした。

 昼休みは部活の先輩と一緒にお弁当を食べました。部活の先輩達は昼休みも放課後も仲良くしてくれていたのにケンカしてしまいました。ケンカして以降うまく話せなくなり、先輩達が卒業すると私は完全に一人になりました。一人でお弁当を食べ、一人で部活…しても仕方ないので放課後の時間は資格試験の勉強にあてました。

 

  母がまた妊娠しました。高齢出産で危険だと反対しましたが、「どうしても産みたい」と言っているうちに月が経ち、堕ろすという選択は消えました。

 妹が2人になりました。赤ちゃんの世話は一人目の妹で慣れていたので楽にできました。母は赤ちゃんに付きっきりなので上の妹の世話と家事は私か弟の役目になり、勉強どころではなくなってしまいました。

 成績が下がり…といっても1位から2位、3位に落ちただけですが、父は「何でも1番になれ!」と言い、私も負けず嫌いでしたので”1番教”の信者になりました。『何でも1番じゃなきゃダメで、1番じゃない私はクズだ』と思い込み、自分を追い詰め、自分でも気づかぬうちに心を病んでしまいました。


 リーマン・ショックで父の会社が倒産しました。借金返済に追われ、貧乏一直線。今までもそこそこ貧乏生活でしたが、それ以上の貧乏生活を強いられました。父は「生活保護だけは受けない」と言い、生活は厳しくなりました。

 父は仕事が無いので朝から酒を飲み、昼間から飲み歩き、帰ってきたかと思うと母に「金を出せ!」と迫り、お金が無いと暴力をふるいました。泣き叫ぶ妹達に怒鳴り、恐怖で弟を従えた父。昭和のドラマみたいな光景が目の前で繰り広げられているのを、自分は遠くから見ているだけでした。蹴飛ばされて吹っ飛んでも、他人がやられている感覚になりました。現実逃避してないと持たない状況でした。

 酒を飲んで、更に睡眠薬も飲んでいたので夜中に暴れても記憶は全く無く、ガラス戸を蹴破ってケガをした翌朝も「足が痛いなあ」と普通に起きてきました。「記憶が無い」ととぼけ、二日酔いでぐったりする父に何か言う気力も失せていきました。何を言っても無駄で、殴られるだけ…。

 

 高校3年、就職活動をするも上手くいかず、焦っていました。一緒に面接に行ったバカなクラスメートが受かると『勉強ができても社会では関係ない』という気持ちが強くなりました。

 会社説明会の会場で私は倒れてしまいました。先生は「精神的なものだろう。病院へかかった方がいい」と言っていましたが、『精神科なんてキチガイ病院へ誰が行くもんか!病院へ行くお金もないし、親に相談できるわけない』と黙っていたのに、先生は親に連絡していました。

 家に帰ると父に「会社説明会で倒れただと!?気合いが足りないからだ!根性出せ!」と怒鳴られました。なかなか就職できないこともグチグチ言われました。

 その後も失敗続きで、進路指導の先生に「職業訓練校を受験してみないか?」と言われ受験しました。しかし、結果は不合格。進路の決まらないまま卒業になりました。

 卒業式が終わり、みんな写真を撮ったり、卒業アルバムに寄せ書きを書いたり、「この後遊びに行こう」と話す中を一人で帰りました。

 

 高校生活、終わっちゃったなぁ…進路も決まってないのに…人生終わった…


 フラフラ歩いて帰ったらとても騒がしい家。父に何か言われる前にとにかく逃げ出したくてたまらなくなりました。机でどうしようか考えているとチャイム音が聞こえて、玄関を開けると先生が立っていました。

「どうしたんですか?こんな時間に…」

「職業訓練校、合格していた人が辞退して繰り上げ合格になったのよ!」

「え?!」

「合格おめでとう。これ、職業訓練校の書類持ってきたから。入校説明会の時に提出してね」

 

 職業訓練校に入校が決まったものの、貧乏過ぎて学費が払えない。相談して学費は分割にしてもらい、奨学金の申請もしました。

 職業訓練なので大人も一緒に勉強します。商業高校で勉強してきて資格も取得していた私は調子に乗っていました。授業内容も高校での勉強とほとんど同じでしたし、実技も誰よりも早く終わらせられたから当たり前といえば当たり前だけど、それで周りから良く思われてなくて、昼休みもほとんど話をせずに過ごしました。

 簡単なはずの資格試験で不合格になり、勉強で他人に負けるのを久しぶりに感じました。『どうして高校で勉強してきた私より初めて習う人が上に行けるんだ!』と苛立っていると、先生に「自信があるのは良いことだけど、自信を持つのと調子に乗るのは違う。あなた自分がちょっと勉強できるからって油断し過ぎなのよ。」とはっきり言われました。それから年上の人に対する話し方も注意されて、今まで自分が悪気なく言ったことが相手を怒らせていたと知りました。

 今更態度を改めてももう遅いって感じで、周りとはあまり馴染めないまま…。就職活動もスタートしましたが、また失敗続きで、周りは就職が決まっていきました。

 結局、最後まで就職が決まらず、職業訓練修了。今度こそ人生終わったな、と思いました。修了式が終わってみんな「飲みに行こうぜ!」とワイワイ言っている中、一人で帰りました。


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