③「ドラマみたいな人生」と言われるけど実際はそうでもない。-少年時代その2-
教育ママの意向により私は小学3年から学習塾に通わされていました。
母は私が6歳の時に癌の手術をしてから入退院を繰り返していました。
中学受験をすることになっていたので毎日夜遅くまで勉強をして日曜日には模擬試験、休みなんてありませんでしたが隠れてサボることを覚えた私は塾に行ったふりをしてゲームセンターやボーリング場でよくサボっていました。
一度サボっているのが母にバレてスーパーファミコンで頭をかち割られた時は流石に泣きました。
勿論、成績があがるはずもなく塾でのクラスは常に一番下でしたが学校の勉強は不思議とでしました。
12歳の12月頃だったと思います、日曜日の模擬試験が終わりいつものように電車で帰ろうと思っていたら何故か試験会場の前で父と一時退院していた母が車で待っていました。
今思うとあの時の両親はとても悲しい顔だったように思います。
両親はこれから海に旅行に行こう、明日は学校休んでいいと言いました。
私は学校を休めると喜び車に乗り込みました。
車が千葉県銚子市に着いた時はすで辺りは真っ暗でした。
父がホテルのロビーで何やら交渉して戻ってくると今日はここに泊まろうということになりました。
もう夜なので海はまた明日かなと少し残念に思いながら私は眠りました。
しかし、真夜中に両親に起こされやっぱり今から帰ろうということになりました。
父がロビーで精算して車に乗り込み私はすぐにまた眠りました。
明け方、家に着くと祖母が泣きながら飛び出してきたり家の中がめちゃくちゃに荒らされていて私はびっくりしました。
この時は何がなんなのかわかりませんでしたが父には二億円に近い多額の借金がありまた母の体もあまりよくなかったので一家心中の為に海に向かったとのことです。
この話を知ったのは父が蒸発した16歳の時でした。
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