自殺を決意した40代のオジサンが直前でチャットした変な10代。
今の時代LINEというアプリは生活に欠かせないコミュニケーションツールになり、犯罪はもちろん、政治家の失言なニュースでも良く取り上げられるようになりました。ちょっと前まではこれを「メッセンジャー」なんて呼び方をしていた覚えがあるんですが、皆様が覚えている初めて使ったメッセンジャーはなんだったんでしょうか。
僕にとってそれは「ICQ」というソフトウェア(アプリ)でした。ICQは1990年代中東で開発されたコミュニケーションアプリです。LINEのように特定多数とチャットするパソコン上で起動するソフトウェアでした。まあ、LINEのご先祖様といえるんじゃないでしょうか。eメールはあったけど、リアルタイムで誰かと「文字」で話せるって事は衝撃的で不思議な装置でした。
そんなICQの三文字は英語の「I SEEK YOU」(我、あなたを探し求める)という言葉がから来ていると言われています。その言葉柄か今のメッセンジャーにはなかなか見当たらない非常に興味深い機能がありました。それは「ランダムチャット」という機能です。
「ランダムチャット」とはICQを起動している人同士をランダムに繋げる機能でした。当時僕は小さな田舎島で暮らしていた高校生。外の世界の誰かと話せるって事は想像を超えた冒険でした。「知らない人とのチャットは嘘や偽りで溢れるんじゃないか?」と思われがちですがSTORYS.JP同様、「事実」以上に面白い事はなかなかありません。
どこの国にいるの?今何時なの?そこでは何を食べるの?どんな風景なの?
たぶん、今の時代で置き換えるならば火星や木星にいる宇宙人とランダムでチャットするような事かもしれません。何よりも「ランダム」という無規則でつながる「誰か」に規則やうわべばかりを語る大人達から離脱した不思議な力すら感じていたのかもしれません。
そんな非日常的な出会いが繰り返される中で、僕はあるオジサンに出会いました。

















当時高校生だった僕ですが、チャットとはいえ目の前に自殺をするという人をみて、何故か動揺はしませんでした。それはたぶん、オジサンが最後のチャットで自殺を決めるのではなく、自殺を決めた上で話すと言ったからかもしれません。僕はただ、その理由を受け止めてみようと思いました。
そう思えたのもICQのランダムチャットを通じて色んな人に出会う中、相談をしてくる人がたくさんいました。もしかしたらランダムチャットだったからこそ、画面向うの誰かに自分の悩みや苦悩を人々は吐き出していたのかもしれません。
そんな辛そうな人たちに僕なりの応援をする事がちょっとした生き甲斐でした。まあ、応援といっても一風変わった事を言っていました。例えば、ある日はランダムチャットで病院受付窓口で働いている女性の愚痴を聞くことになりました。


さっき、「医学なんてしらない」いったけど、逆に医学を少しでいいから知っていれば仕事には役立つと思うよ。もしかしたら患者により的確な分野に案内できるかもしれない。そこはレベルアップのチャンスであって、嫌な思いをする内容でもないよね。おえぇさん、あんたは偉いんだよ。立派な仕事をしているんだよ。

なんだか「もうダメだ」って思う人に全く真逆を言いたかった。なんだかそれが楽しかった。そして、どっかの国の自殺を決めた40代のオジサンが人生最後にチャットしようとランダムチャットにクリックした時、確率の神様が繋げたのが僕だったんです。
オジサンは幼いころの話を始めました。
オジサンは養子で育てられたそうです。親、兄弟との血縁は無く幼い頃からずっと自分はどこか「無関係な存在」だと思いながら大人になったそうです。彼の自殺は心の問題なんだろうかと思った矢先、オジサンはいいました。

1950年代に生まれたオジサンは東洋の国が生んだ戦争孤児だったそうです。幼児の頃にアメリカの家族に養子として引き取られ成長。成長と共に気づく肌の色の違いや、どう見ても自分は「無関係な存在」と思わざる得ない毎日だったといいます。東洋人である事を知らされても、東洋の言葉はもちろん、東洋については何もしらないオジサンは自分の居場所が全く分からなくなったそうです。
自分が誰なのか分からず苦しみつづけた10代。20代になった頃、悪さもたくさんしたけれど、法に触れるような事はできなかった。ツッぱる事で居場所を探したけれど悪人にはなりきれなかった。だから、音楽活動とか色々やったけど、見た目が東洋人ではヒッピーにもなれなかったそうです。
どこに行っても邪魔者ですらない「無関係な存在」。


時は1970年代、アメリカンドリームに魅了された多くの東洋人はアメリカへ移住し夢を追いかけていた時代です。どんな現場もそれでこそ懸命にみな仕事をやっていました。そんな中でオジサンはまた宙ぶらりんだったのです。東洋人達は圧倒的だったそうです。一生をかけてやってきた彼らはどんな仕事をやらせてもギラギラと闘士を燃やし仕事に励んでいたそうです。オジサンにはできなかった。ならば東洋人を管理できるかといえば彼らの言葉もわからない。アメリカ人でありながらもアメリカ人でもない。東洋人でありながらも東洋人でもない。30代になったオジサンは全てが中途半端になったといいます。
それから少し時間が過ぎ40代になったオジサン。たった一人の理解者である彼女とも別れます。子供の頃に家族に感じた「無関係な存在」はやがて自分がこの世から「無関係な存在」であると思うようになり自殺を導きました。
死ぬなといっても、死ぬのでしょう。生きろと僕に言えるのでしょうか。
だから僕は言いました。

ムカつくやつがいたら、ぶん殴ればいい。メチャクチャにしたいなら酒を飲めばいい。自由になりたいなら吸えばいい。ムシャクシャするなら誰かを抱けばいい。別にそれは僕ら10代のリアルも一緒だよ。一線外したら帰っておれなくなる。たぶん、大人の世界もそれは一緒なんだろうね。
オジサンは自殺を考えた。それはたぶん、ムカつくとかメチャクチャとか自由とかムシャクシャでもない。どうして自分はここにいるのか、なんでか分からない時に思う行動だよね。もうどうすればいいか分からないから死のうって思うんだよね。
10代でもいるんだよ。どうすればいいか分からないやつ。誰にも助けてもらえないと思ったら死のうと思うやつ。
僕はオジサンに死ぬなと言えないし、死なない理由も言えない。でも、それでも、オジサンに聞いて欲しい話があるんだ。
だから、それ聞いてから自殺した方がいいと思うよ。もしかしたら来世で役立つかもしれんよ。
たまに自分でもおかしな事を言っていると思う事は良くありました。その変な自分のキャラはあえて今ツッコまないことにします。まあ、でもこのオジサンにはどうしても伝えたい話があったんです。
僕はオジサンにある男の話をしました。
その男は日本で生まれた外国人。なかなか言葉を覚えず家族が心配したそうです。3歳、4歳でしょうか。ある日突然、日本語と母国語の両方を喋り出したそうです。天才とまではいかないが二ヶ国語を交互に使い分け歌を歌ったりモノマネをする幼い彼はどこにいっても人気者でした。
そんな彼は母国で小学校を入学。それからは全てが変わってしまいます。普段から日本語も使っていた彼へのみんなの視線は違っていた。登校中小石を投げてくる上学年がいれば、文房具を売ってくれない店長。先生に至ってはトイレを使わせないなど幼い少年の世界は理解を超えます。自分に何が起こっているのかすら分からない日々が始まります。


やがて露骨になり「クソ日本人」と彼を呼ぶ人もいました。家に帰る道、正門で上学年が野球バットをもっているようなら殴られるんじゃないかって遠回りをする事もあったそうです。幼い彼は笑顔で家を出ては徐々に頭を下げ登校し、小石が飛んで来ては走り出し、過ぎ去れば歩き出しそれを繰り返していたそうです。当時彼は7歳。何時の間にか世界の全てが敵に見え、話せる人は誰もいなくなりました。


でも、たぶん今のオジサンもそういう感じなんですよ。僕には良く分からない。
分からない事って、人生には起こるんですよね
興味を持ちだしたオジサンに僕はもう少し話をする事にしました。
先ほどの話の彼なんですが、8歳を過ぎる頃には違う国に引っ越します。そして母親と日本人コミュニティーに溶け込む事になりました。しかし、ここでも彼の現実は変わりなかった。親の前では日本人の子供は優しかった。でも、親がいない場所で彼は「的」だった。ドッジボールをすれば何時も一人真ん中だし、ボクシンググローブを買ってもらった子供がいれば彼はサンドバッグだった。それでもずっと「日本人」だってイジメられていた彼にとっては「日本人」といる事が楽しかった。そこは居場所だと思い始めた頃、一人の日本人の子供が怖い顔で彼の腕を力いっぱいつねながらこういったそうです、
「お前がどれだけ日本語を話、日本人のふりをしてもこの肌の中には汚い血が流れているんだ!」

そう言って置き去りにされたそうです。当時の事を彼はこういいました。
「すごく痛かった。心が痛いとかじゃなくて、つねられた肌がとにかく痛かった。泣いちゃダメだって思ったから一生懸命堪えた。つねった手を放してくれて、腫れあがった肌は色を取り戻すんだけど傷ついた何かが化膿し始めた。」
結局彼はどれだけ母国語を話せても、日本語が話せても、何者であろうと、彼に居場所は無かった。生まれて十年の少年は自分が誰なのか、どうしてこんな事が起こるのか、何も分からず神様を憎んだ。ただただ神様を憎んだ。


少年は中学に進み、高校生になって自然豊かな南の島で暮らしながら1つの結論をだした。
助けて欲しいなら、誰かを助けるしかない。
人間に愛されたいならば、人間を愛するしかない。
だからランダムチャットを始めた。こんな自分の嫌われ人生でも誰かの人生を応援できるかもしれない。そしてそれが何時かは自分を応援してくれる誰かにつなげてくれるのかもしれない。


さぁ、オジサン。
どうする?
自殺するかい?


ずっと黙っているから愛想尽きた。
こういう人生は自分で背負うしかない。

僕は昨日死ねなかったんだね。
生きようと思う。


僕は30歳を過ぎ、いいオジサンになってきました。あの頃のオジサン、負けずに生きていたら今頃60を超えているはずです。なんだかうまい事をいってこのストーリーを纏めたいのですが・・・。イヤ、本当にタイトル通りの話でオチは思いつかなかったのですが、せっかくここまで読んでくださったのなら、これだけは言わせてください。
チャットで起こる残念な出来事は多い。しかも良くテレビやネットで頻繁に取り上げられる。でも、チャットがもっているのは人を傷つける力だけじゃない。人を生かす力も備わっているんです。だから世の中が悪い事に使おうとしているようなららば負けないくらい良い事にも使ってやりたい。別に特に何か難しい事ではありません。
普段言えない応援、感謝、ラブアンドピース、ダサくてカッコ悪くても言ってみましょう。
その一言で生きようと、生きていてよかったと思う人がいるんです。
台風のような幸せの渦に巻き込まれますように。
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