「武士道」「キリスト教」「京都大学」

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「武士道」と「キリスト教」と「京都大学」


どうしてモンスターペアレントが支持されないのか。自分の子供のことを愛しているのだから虐待する親よりマシ。それなのに、どうして世間から忌み嫌われてしまうのか?

  それは、性格のゆがみを本人が気づいていないため周囲の人が迷惑を受けるから。たとえば、。大抵の塾では、

1、私語を慎む。
2、教室内で飲食をしない。
3、廊下を走らない。

  など基本的な生活習慣の注意をする。基本的な生活習慣を守ってもらわないと学力向上などムリだし、周囲の子が迷惑する。基本的な社会のルールだ。
  ところが、時々、基本的人権などを持ち出して、
「自由に発言する権利を認めないのか!」
  と発言をする子がいる。注意すると、保護者まで病的な発言をして子供を擁護しようとする。そういう場合、周囲もあきれ返ってしまい「モンスター」と呼ぶ。

小学生時代の愛読書

  どこで話がすれ違ってしまうのか?私はそれを北勢中学校の時に学んだ。先生が
「戦争は良くない。話し合えば分かるはずだ」
 と言ったが、私は
「そんなわきゃないだろうが」
 と思った。戦争は良くないことなど、誰でも分かる。しかし、世界各国の指導者たちが話し合っても合意できる時の方が少ない。大抵は、武器をとって戦争で決着をつけることは歴史が示すとおりだ。
 
「おまえは、民主主義を否定するのか!」
 と激高されそうです。でも、国どおしなんて大袈裟な話ではなくて会社でも民主主義でやっていけますか?みんなの意見を聞いていたら、企業間競争に負ける。だから、優れたリーダーに判断を一任したりする。
 家庭内でも同じで、親の勧める進路、結婚相手。それって話し合いで常に解決しない。ほとんどの場合、決裂して永遠に平行線。テレビで大塚家具やロッテが身内で骨肉の争いをしている。

 話し合いが機能する時もあるけれど、チャンスは少ない。実力行使の方が多い。戦争までいかなくても、法律による戦い、学歴による戦い、学力による決着。それが「入試」だ。

 そういう現実を前にして、綺麗ごとを口にするのがモンスターペアレント。受験で蹴落とし合いをしている生徒たちに向かって
「誰でも自由に発言する権利はある」
 と言われても、生徒たちは戦いをやめないし、邪魔をする人からは遠ざかるし、ムリなら排除しようとする。当たり前のことだ。

 私は人と関わるのが好きではない。特に左翼の人とは距離を置く。戦争が終わって70年。私は戦前の軍国主義を肯定する気は全くない。父も母も
「戦争は負けてよかったかもしれない。軍が絶対というのは良くない」
 と言っていた。
 しかし、同時に戦前の全てを否定するのは間違いだと思う。明治維新も第二次世界大戦も、幕府と軍国主義を丸ごと否定しなければ成し遂げられなかった。武士道も、戦前の修身も否定せざるを得なかった。それは分かる。

 

  しかし、武士道や修身には良い点は全く見られないのだろうか。明治維新を実行したのは武士たちだった。日本を復興させた民族精神は戦前のものだった。現在の日本、あるいは社会主義の社会がユートピアなのだろうか。もちろん、江戸時代や戦前の社会がベターとは思わない。

 ただ、現在の社会もユートピアだと思えない。難関校を受験するくらいの子なら気づいているはずだ。勉強が出来ない子の特徴の一つは、

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