
建物は多少古臭くはありますが、ターミナル1の出国ゲートはこれから海外に出かける人であふれそれなりの華やかさがありました。
その中で私達グループだけが光も当たらない絶望のどん底に落とされた気持ちでした。
相手が一枚上手だった、というより、凄く手馴れているなと感じるほどの迅速で緩みのない行動でした。
アロハ君がNBIに連行されたとの連絡を受けあっという間に脱出ルートを絶ち、出国できないようにする手腕はそれなりのテクニックと大きなコネクションが動いている表れでした。
「どうやらその辺にいるような簡単な詐欺師ではないようですね・・・」
私達が今後の対応策に右往左往しているときにNBIのエルソンから電話がありました。
「逮捕状が出されてたのは知ってるな」
「らしいな・・・若い署員から聞いたよ」
「残念だが正規の逮捕状が出てしまったら、すぐには出国できない、少しほとぼりが冷めるまで俺の田舎にでも行って隠れていればいい」
本来なら、それが正攻法だと思います。そのうち詐欺師の日本人も逮捕されるでしょうから、釈放をネタに交渉すればいい、そうすればいずれは逮捕状は取り下げられ彼らも無事に日本に帰国できる。
「それは待てない。彼らも精神的にまいっている、他の場所からでもなんとしても今日中に帰国したい」
「セブ経由はだめだぞ、あそこも最近ではオンラインで繋がっている。しかもセブなんかで逮捕されたら誰も助けには行けない」
「いや、セブには行かない」
用意周到な詐欺師の事です。しっかりセブにも出国できないようにガードを固めているはずです。
「空がだめなら船か、マニラ湾から密航か?」
「いや、船は使わない、飛行機で堂々と帰す」
「飛行機で帰るって、どう出国する?他に方法は無いだろう。国際空港はすべてガードがかかってる、唯一オンラインで結ばれてないとしたら、米軍基地くらいだろう?まさか米軍を動かしてまで脱出させるのか?」
さすがNBIの切れ者エルソン、確実に答えに近づいていました。
「そのまさかだ」
「まさかって、米軍を動かすのか?出来るのかそんなこと?」
「いや、米軍を動かすわけじゃない、エンジェルだ」
「エンジェル・・・そっか!クラークか!」
クラーク国際空港はマニラから車で2時間で行くことのできる国際空港です。以前はアメリカの空軍基地としてその役割を持っていました。
「Angeles市」にあることから、アンジェルスが訛り、みな愛称ををこめて「エンジェル」と呼んでいました。
特別経済特区で縛られているクラーク空港だけは他の空港等は違いオンラインで結ばれていないと聞いていました。
「オンラインで繋がっていないクラーク空港から出国してソウル経由で日本に入る」
「そうか、日本からの直行便が出てないから殆どの日本人は知らないはずだ!でも、実際大丈夫なのか?逮捕状が出てるくらいだからクラークにも情報が行ってるかも知れないぞ?」
「それはやってみないとわからない、しかし、今はやるしかない。それにもしだめだったら最後の手段の必殺フィリピンスタイルの奥の手もあるしな」
「なんだ、そのフィリピンスタイルって・・・」
「試してからのお楽しみだ、これから空港に向かう。色々ありがとう。今度一杯おごらさせてくれ」
これ以上一緒にいるところを人に見られると何かと問題があるでしょう。若い署員とは空港で別れ、私達はタクシーに乗ってクラーク空港を目指しました。
クラーク空港に向かうハイウェイも途中で途切れ整備も満足にされていない田舎道を走っていました。
サスペンションのガスが抜けて余計揺れが大きなタクシーを選んだことに後悔しながら、空港に到着する頃にはそろそろ日が沈む夕暮れ時になってしまいました。朝から神経をすり減らし動いていた部長の疲労もピークに達していました。
「チケット買えました。ソウル経由の成田です、でも大丈夫でしょうか?また出国ゲートで返されるのでは・・・」
「部長、これから使う手は部長がもっとも嫌う手です。それを使うことによって、部長とアロハ君は二度とフィリピンに入国できなくなるでしょう。しかし残された道はそれしかありません。それでもやりますか?」
二人の顔を見れば一目瞭然でした。この5日間でいやというほど味わったフィリピンスタイル。それが二人にとって最後の切り札になろうとは皮肉なものです。
「もう、日本式の固定概念は捨てました。出られる(出国)なら何でもやります。それにひろしとは違い、私はフィリピンはもうこりごりです。二度と入国できなくて結構です。」
「アロハ君、ここまで動いてくれた部長の恩を忘れないようにね」
事件の発端のアロハ君もさすがに今回は懲りた様子でした。もとはといえば彼の軽はずみな行動からおきてしまった事、日本で同じ事件を起こしたとしてもこれほど大きな事件にはならなかったでしょう。
事件の深刻さと今まで多くの人に迷惑をかけた罪はこれからも彼の中に深く根付くに違いありません。何も言わず深々とお辞儀をしました。
「さっ、もう出国してください。出国ゲートまで入れないので私はここで待ってます。もし出国できなかったらすぐに電話を下さい」
心の中で電話が無い事を祈りました。今度、出国できなければ彼らの心はきっと折れると思ったからです。帰れないことが普通になった時、それは何年もかけてこの国から出られない事を意味します。
そうして、多くの日本人が出国できず塀の中で最低限の生活をしています。そして、私も最後の切り札を切った以上、今後、彼らを救う手がまったく思いつかなかったからです。
「無事に出国して欲しい・・・」
数分後、私の願いをかき消すようにノキア社製の携帯電話が鳴りました。日本の携帯は通話料が高く使い勝手が悪いのでアジア出張の時はノキア社製の携帯電話を使用します。
日本の小型でおしゃれなデザインとは違いまるでトランシーバーをイメージさせる無骨な箱型の携帯電話はポケットに入れる事が出来ず、いつも邪魔者扱いをされていました。
この番号を知っているのはごく限られた人・・・
いやな予感が当たらないように願っていたのですが、しかしそれは部長からの着信でした・・・
ダメだったか・・・
「やっ!やりました!!5000ペソでOKでした!」
それは今までに聞いた事のない部長の歓喜の声でした。
私が部長に授けたフィリピンでの最後の必殺技・・・それは「裏金」でした。
パスポートに4000ペソを挟み出国検査官に手渡します。検査官が渋るしぐさを見せるともう1000ペソパスポートの下にもぐりこませます。
5000ペソとは当時の日本円で一万五千円のレートでした。
憮然とした態度を見せつつも検査官は何も言わずに出国のスタンプを押してくれたそうです。
「裏金で物事を解決しようなんてそもそも根本的な解決ではない」
もっとも裏金を嫌い筋論で論破しようと頑張ってきた部長も最後の切り札に自分が裏金を使うなんて思いもよらなかった様子でした。
「この国では裏金を使うことも争いを小さくする意味では有効なのかも知れませんね」
出国できた興奮が冷めやらない状況でしたが自分があまりにも興奮していた事を私に悟られたくないような、すこし照れたような口調の部長の口ぶりは聞いている私も思わずにやけてしまうような話しぶりでした。
私も神経をすり減らした長い一日だったため、離陸を待たずにすぐに寝てしまいました。彼らを乗せた飛行機を見送り、私は一日遅れの休暇を楽しむためプエルトプリンセサ行きの国内便の中にいました。
長い一日だったけど無事に彼らを帰すことが出来て本当に良かった。さて、日本人を騙したあの詐欺師、商社の三倍返しはどうしてくれようか・・・バカンス中、やしの木陰でそればかり考えていました。
もしかして私は「ドS」かも知れない・・・ふと、われに返って噴出してしまう。そんな繰り返しのバカンスでした。
それから数ヵ月後、日本で彼らと会う事が出来ました。
「どうしてもお礼がしたい」といわれましたが、私もあちこち飛び回っていた時期でしたので、結局、彼らと再会できたのは年をまたいだ一月の寒い時期でした。
すっかり自信を取り戻した部長はさすが一国の社長とひと目で思わせるような凛とした雰囲気を持っていました。久々にあうアロハ君のスーツ姿もなかなか様になっていて何かを乗り越えたような大人の雰囲気がありました。
「あんな短時間で色々な事を経験したんだ、会う人会う人に凄く老けたっていわれているよ」
「日本じゃなかなか経験できないことですもんね、無理の無いことです」
「あの時、成田空港が見えたときは本当に感慨深かった、何年も日本に帰っていなかったようなそんな気分でした。」
「でも、無事に帰れて何よりでした。」
「はい、逮捕状が出てるのに出国審査官に裏金渡して高飛びしたんですもんね、私もとうとう指名手配のお尋ね者です」
「大丈夫、私はフィリピンでは前科3犯です。部長はまだまだヒヨッコです」
笑いながらビールを飲む姿はやっぱり少し白髪が目立ったかな?と、感じられるだけでとても品のある先輩といった印象は変わりませんでした。
「ところで、あの詐欺師の日本人はどうなりましたか?」
あれから部長達は帰国後、NBIが作成した被害届を公証人役場で公証文書として認めてもらいそれを地元警察に被害届を提出したそうです。しかしながら口座凍結は証拠が無ければ難しいといわれたようです。
「何しろ、詐欺師が今何処にいるか検討が付かないようです。連絡が取れないとこの先進みようが無いといわれました」
「彼なら今拘置所にいます。携帯も没収、暗い部屋でただひたすら裁判が始まるのを待ちます。もっとも裁判はいつ始まるか分かりませんけどね」
部長達が逮捕状を出した事はしらず、部長達がそろそろ空港で拘束されてマニラに身柄を戻されたと思い、様子を見にマニラの警察署にのこのこ現れたそうです。そうしてそのまま御用となり現在は拘置所で暮らしているそうです。
詐欺師は当初、部長達の逮捕状を取り下げるのと先に騙し取った100万円の返還を釈放の条件としたそうです。
「事件を取り下げたくても私のサインが無ければ取り下げは出来ない、そして、100万円は惜しいですが、私は二度とフィリピンに行く気にはなれない、したがって裁判はいつまでたっても始まらない・・・か・・」
乾杯したビールにもそろそろ飽きてきて飲み物を日本酒の熱燗に変えながら部長は少し思い立ったように上を向きました。
「しかし、不思議な事がひとつあります。簡単に警察を動かせるだけの大きなコネを持っていながら、あの詐欺師、未だに出所できないってどういうことでしょう?」
意味ありげに笑い部長の空になったおちょこに熱燗を注ぎながら
「今回はもっと大きな力が動いています。ちょっとやそっとのコネじゃありませんよ」
おちょこに注いだ熱燗を思い立ったように一気に飲み干し、そのおちょこをテーブルにトンと突きながら、
「もしかして、動いたんですか?商社の三倍返し?」
決して返事をしませんでしたが、当たらずとも遠からず、といった私の表情に部長も満足げに笑っていました。まるで何年も付き合っていた友達のように話は尽きる事無く夜は更けていきました。
「フィリピンで警察に逮捕されて帰れなくなった日本人」本当に帰れなくなったのはその詐欺師だったというお話でした。
終わり・・・
※フィリピンは寒い日本と違いとても暖かくいい国です。私がもし明日死ぬと宣告を受けたなら、最後の晩餐はきっとフィリピンのマンゴを選びます。濃さ、甘さがぜんぜん違います。
人々の恨みを買わなければとてもすごしやすくいい国です。私は決してフィリピンを揶揄している事はありません。もし、トラブルがあったらという前提でお話をさせて頂きました。ついでに一言付け加えさせて頂くなら、この事件はフィクションで実際の団体などには一切関係がございません。

