18歳からの20年で、7つの職場、2人の奥さん、2度の住宅ローン、そして13カ月入院した話【その3入院編】

事故…破壊と再生
1999年6月2日  気付いた時、手脚が吊られ、知らない天井と怒ったような心配したような叔父や親戚の顔が見えた。咄嗟に出た言葉『ごめんなさい』。全く覚えてない。だけど、一つだけ確かな事、やっちまった...
午前中、長野県内の国道20号。片側1車線のこの国道をひた走る1台のワンボックスが反対車線に飛び出した。正面からは10トントラック...2時間通行止めとなった。
翌日には13時間にも及ぶ手術。
左眼窩底骨折、右下顎骨折、右上腕骨頭骨折、右薬指中手骨骨折、右大腿骨複雑骨折、右足人差し指から薬指の複雑骨折、右膝下の挫滅、全身打撲、大量の擦過傷
持ってる男は...持ってたはずの男は何も持たざる者になっていた。
右膝下は原型を留めてなかった。足首からは骨が露出し、ふくらはぎは...存在してなかった。辛うじて動脈が1本切れていなかった...だから、即切断とはならなかった...らしい。
意識混濁中の自分の知らない所で、この脚を残す決断がなされた。肉が復活してきたら、植皮等の形成術を施す予定。
個室のベッドから動けない日々。変わらぬ景色。話し相手すらいない孤独な日々...仲間や水泳のコーチ時代の上司や同僚、小学生時代からの親友、わざわざ東京から長野まで見舞いに来てくれて救われた。
事故から数カ月。車椅子の許可が出た。当初はベッドから車椅子に移るだけで一苦労。23歳の誕生日を迎える頃には、病院中に知り合いが出来ていた。
そんな頃、右足に広背筋を移植する話が浮上した。
世間ではミレニアムで大賑わい。自分は広背筋の移植で大わらわ。
移植手術は滞りなく終了した。
ICUで過ごした1日目。
血流に不具合が生じた。緊急オペだ。
不具合はひとまず解消された。
2日目、すでに移植した広背筋が壊死し始めていた。移植失敗...
再び緊急オペ。広背筋を取り除き、右手首から血管を移植することで、右脚は生きながらえた。
移植失敗のダメージが癒える頃、1人個室でミレニアムを迎えていた。
自由に動き回れるようになり驚いた。
病院の売店のおばちゃんも緊急オペのことを知っていて、労いの言葉をかけてくれた。ありがたい。
その後はリハビリを頑張るのみ。
土地柄、老人ばかりのなか、1人筋トレ。バーベルを使い上半身を鍛える。メディシンボールを使って上半身を鍛える。
松葉杖を使っての歩行訓練から始まり、一本杖での歩行訓練。
退院が近づく。
2000年7月7日 13カ月に及ぶ入院生活が終了した。
命を救われ、病院で四季を感じた1年が終了した。
2度と走れない事を受け入れられず苦悩した日々。
眠れずに真夜中に病院中を車椅子で徘徊した日々。
人生でそうそう経験出来ない体験をした。
そして、人生見直しの日々

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