切断された父の指

私の父は、愛知県の田舎で小さな歯科医院を営んでいました。毎日同じことの繰り返しに見える歯医者の仕事は、当時の私には面白いと感じませんでした。しかし、現在、私が歯科医をしているのは、まぎれもなく父の影響です。


50歳を目前にし、父は右手親指に違和感を覚え病院に行きました。病気もせず健康だった父は、精密検査をはじめて受け、疲れていました。 


「ちょっとした皮膚炎だろう」。しかし、下された診断は、予想にもしない結果でした。

 

―― 進行性の皮膚癌。


 父は、あまり愛想のない職人タイプの人でした。目立たない人でしたが、地域に根ざした歯科医療を真面目に取り組んできたプライドがありました。父は、いま診ている患者だけは絶対に終わらせてから入院すると言って、医師の言うことを聞きませんでした。


 ようやく患者の治療を終わらせて父は入院しました。さらに詳しい検査を受け、治療法が決まり、父は一人カウンセリング室へ呼ばれました。そこで受けた説明に父は崩れ落ちたのです。


―― 右手親指切断。


「切ったら仕事はもうできんのか……」 


落胆し小さくなった父。父の言葉を、ちょびひげを生やした同世代の主治医は根気よく傾聴していました。


 癌は指先の肉をえぐり続けました。その傷口から、さらに存在感を増してきた悪性腫瘍は、憎たらしい姿を曝していました。よりによって何故ここに。違う場所でもいいではないか。


 抗癌剤も放射線療法もほとんど効果のない相手は、誰の目にも見えるところで増殖し続けました。早く拭い去ってしまいたい。指先にちょこっとできた悪魔に、どうしてこれほどまで翻弄させられるのか。


 洗い流せば、つるつるとした皮膚がよみがえるような気がする。癌がどのようなものか、医学の知識のある父には十分わかっていたはずです。あり得ない晴れやかな想像をすることで、少しでも気を紛らせていく時間。


患者の歯を失わせるのが嫌いだった父。歯が悪くなり抜歯を余儀なくされた患者の気持ちを頭の中ではわかっているつもりでしたが、患者の本当の気持ちはわかりません。しかし、自分の体の一部がなくなることが決定した日から、実に明確に心と体でそれを理解したのです。私にその話をする父は、いつもより丁寧で慎重でした。


 手術当日。ちょびひげの主治医は右手親指の第二関節をわずか数ミリ残して、切断しました。それは、父が歯科医であることを尊重してのことでした。義手を使うとき、その骨片があれば指が動かせるのです。手術前に、主治医は自分の患者にはいつもしているであろう慣れた手つきで絵を描いて、再度私たちに説明してくれました。手指の皮膚の構造とその手術法の絵は誰が見てもわかるような明快さでした。そして、主治医はその通りに手術を終えたことを報告に来ました。


 実は、ある医師は、右手半分を切断しなければならないと言いました。医学的には、その診断は間違っていないのかもしれません。切り取る部分が多ければ、転移を免れ、死期を遅らせることができるのも事実ですから。しかし、それは父にとって間違った診断であることは、手術後すぐにわかりました。麻酔から覚めた父は、突然、私に言ったのです。


「診療所を掃除しておけ」と。


 一年半後、容赦なく全身に増殖していった癌細胞は、すでに捕らえることができなくなっていました。残念ながら、手術時には既に転移があったのです。体の内部まで入り、健康な組織を自由に食いつくす悪性腫瘍は、もう誰にも止められなくなっていました。襲いかかる激烈な痛みを抑えるためのモルヒネは、強い幻覚を起こさせ、父の精神をぶち壊しました。もう命は限界でした。


 そして死の直前に突然目を見開いて、私を見て叫びました。


「あいつの歯を抜くな!」


 病室に響く位の大声で。幻覚症状だったのかも知れません。私と一緒に仕事をすることを夢見ていた父。息子が歯科医師免許を取る8ヶ月前のことです。これから伝えたいと思っていた沢山の知識や技術や心や無念さを、父は「歯を抜くな!」という一言で表現したのでしょう。朦朧とした意識の中で、きっと仕事をしている夢を見ていたのに違いありません。


 私が大学6年生の8月1日、父に死が訪れました。教科書で読む無機質な医学用語である「癌」。それを現実に表わしたら、これほど壮絶なものになるのか。死とは、最後の最後、安らかなものであろうと幻想を抱いていましたが、悶え苦しむ父の姿に打ちのめされました。父のすべての機能が停止した後に初めて静かな時間が訪れたのです。


 葬儀の日、私は父の姿を哀れに思いました。指を失ってまともに働けなくなった歯科医の最期。壮絶な最期。静かな昇天。そして、小さな棺におさまった死に顔。それらすべてが私に哀れさを感じさせるのです。


 しかし、弔問の列は私の目の前で長く長く延びていました。それは、父の診た以前の患者さんの一群でした。「これが父のしてきた仕事、父の足跡だったのか」。今まで何も心に入ってこなかった歯を守るための歯科医学の本質。あふれ出る涙と引き換えに、甘ったれた私の精神に、はじめて舞い降りてきた瞬間でした。


 私はいま銀座で歯科医院を開業しています。患者の歯を抜かない治療を心がけています。父と息子が親子2代で継承している信念がそこにあるのです。

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