「高木教育センター」のありふれた日々(続編)

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 「バンフリートさんと、ブレアーさん」

  私が最初にアメリカに渡ったのは大学生の夏休みの旅行だった。ユタ州のプロボだった。たぶん、タバコを吸わない、酒を飲まないというアンケート結果からユタに決まったのだと思った。後で分かったことだけど、ユタ州はモルモン教徒が作った州で、モルモン教徒は酒もタバコも禁じている。

  お世話になったのは、BYU(ブリンガム大学)の物理学の教授で部長さんだった。つまり、学者で人望の厚い人だった。夢のような1ヶ月だった。私の人生はあそこで変わった。

  5年後に交換教師でアメリカに住むことになったとき、私はユタ州を希望した。今度はプロボより小さなローガンという町だった。お世話になったのは、ローガンの教育委員会の委員長の家だった。

  他の日本人たちは普通の家や貧しい家にホームステイすることになったが、私は丘の上の豪邸と呼べる家だった。なぜか、教育関係の人にお世話になる縁があるらしい。私が教育学部卒であることがコーディネイトに関係したのだろうか。分からない。

  両家とも、熱心なクリスチャンで理想的な家庭に見えた。モルモンらしく大家族だった。しかし、親しくなるにつれていろいろ話してくれた中に、バンフリートさんの長女は麻薬で狂乱してカリフォルニアで火事の中で亡くなったそうだ。ブレアーさんの方は、奥さんと次男が大喧嘩して、家を飛び出した息子が猛スピードで車を運転してそのまま崖から転落して亡くなったそうだ。

  バンフリートさんの方は、ずっと後に再婚だったことも知って驚いた。

  

  自分が親になった頃、つまりアメリカから帰国して20年くらい経って

「あれ、あの時ブレアーさんに娘くらいの歳のジャッキーがいたよな」

  と思い出した。考えてみたら、ブレアーさんもバンフリートさんも日本と戦争をした世代。私はその敵国の息子。そんな男を、大学生の娘がいるブレアーさんが受け入れてくれた。自分にそんなことが出来るだろうか。

  たとえば、娘が年頃のときに男性のベトナム男をホームステイさせるだろうか。私の答えは「ノー」だった。そこまで信用できない。でも、バンフリートさんもブレアーさんも受け入れてくれた。

  ブレアー婦人はその後、アルツハイマー病になった。私が今頃とても感謝していることを伝えることも出来ない。彼女は、私が料理が出来ないと分かると

「You are a spoiled child」」

 と言い放った。私はムカッときて言い返した。でも、そんな喧嘩をしながら彼女は私の下着なども洗濯してくれた。アメリカでは、何ができるのか示さないとクラスを担当させてもらえないので、拳法のデモンストレーションをやったり、折り紙、墨絵などを見せたら、ブレアーさんは

「日本人はもっと慎ましいと思っていたが、おまえはアメリカ的だな」

 と言った。余計なお世話。そんな喧嘩ばかりしていた。だから、旦那さんに

「私は夫人とうまくやっていけない。ホームステイ先を変えてくれ!」

 と言ったりして困らせた。

私は本当にワガママで心の狭い人間だった。子供の頃は「良い人」になるのは簡単だった。しかし、大人になるととても難しい。

草枕 夏目漱石+

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 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

第十四章

 「永遠の孤独」

そろそろ人物が特定できないと思い「A子ちゃんのこと」をブログに書いたら、反響が大きかった。→ http://storys.jp/100002507170434

しかし、やっぱりと言うか真意は伝わっていないようだ。A子ちゃんのお陰で当塾は次々と新しい教材や指導法を開発していった。そのポイントは「臨機応変」なのだ。

生徒の方は成長期にあり「男子たるもの3日会わざれば括目して見よ」なのだ(女子も)。今日は適当だった指導法が、3日後には通用しない可能性がある。

 1ヶ月前は、学校指定の「教科書準拠」の問題集で精一杯だった生徒が、今は「入試問題」をやりたいと言う。英語に苦労していた子が、克服したからと数学に力を入れ始める。同じ数学でも、計算から応用へ、図形へとどんどん求めるものが変化していく。

  講師はその変化に対応しなければやってられない。当塾に賢い子が集まり理由はそこにある。

  ところが、イマイチの生徒。それから、大多数の保護者の方。学校の先生。こういう人たちは考え方が硬直している。だから、賢い子たちから見放される。  そういう子たちは、私と話すと本音を語る。それは、

「この先生は同類だ」 と動物的な勘で分かるのだろう(笑)。

 彼らは、自分が成長しても硬直したカリキュラムで同じことを繰り返す教師にウンザリしている。「宿題をいっぱい出して下さい」と言う保護者にウンザリしている。そんな叫びが、親や教師には届かない。

  賢い子たちを集めて意見を聞けば分かる。硬直したカリキュラム、ウンザリする同じタイプの問題が並んだ宿題。そんな場所から逃げたいのは基本的人権の問題。  彼らだって、自分の学力を伸ばしたい。伸ばさないと難関校の入試で勝てない。だから、内職したり学校の宿題をごまかしたりするしかない。

  こんな方針でやってますなんてブログ以外では書けない。硬直した頭の人から叩かれるだけ。クチコミだけで医師志望の方や、高学力の子たちの間に噂が広まって個人指導は満席になってしまった。

 

第十五章

「イチゴ大福」 

 たとえば、私はブログに同じことを繰り返し書く。私の指導している子たちは

「これは初めてブログを読む人対策か、永遠のマンネリを狙っているのか」

  と推理をする。私が同じことを書いていることに気づかないわけがないという前提で推測を始める。

  ところが、状況の判断がつかない生徒は

「先生、前にも同じことを書いたぜ」 

と言う。

「前に書いたことを忘れただろ。ボケたか?」

  と思うらしい。

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