「高木教育センター」のありふれた日々(続編)

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「私、学校ではちょっと変人って扱い」

  と言う子が多い。つまり、その他大勢とは違う行動パターンをとっているわけだ。変と言われても気にしない勇気や図太さを持っているのだ。

  周囲を気にして、教師の引いた線路の上を走ることしか出来ない子は小学生までは「良い子」なのだろうが、中学生くらいから伸び悩む。「親離れ」「学校離れ」ができずに20代に突入したら、キモいと言われるくらいマザコンになってしまうのだ。

 

  「学校離れ」をするには、究極のワンパターンを押し進めるのが有効だ。

 

 

第十七章

「English」 

 

  I was born and brought up in Japan.  After graduating from the University ofNagoya, I went to the Utah state in the U.S.A to study English.  It was an exchange teacher program.  At that time, Mormon people helped me a lotand it changed my attitude to America, Christianity and Japan.

 

  After coming home, I opened my ownschool and started to teach English and math. We married and got 3 daughters. But such a happy life ended in divorce after 15 years.  We married in Tokyo Temple but that had nomeaning.  I am sorry because my daughtershad a sad experience.

 

  My school was and is still popularand many smart students come to my school maybe because I passed the 1stgrade of STEP test and took the entrance exam to the University of Kyoto 7times.  The result is now open toeverybody in my school’s homepage.

 

  Some of my students passed theentrance exam to the medical department of Kyoto, Osaka or Nagoya.  They gave my school and me a kind ofhonor.  Now I have correspondent studentsall over Japan from Hokkaido to Kyushu. This is beyond my expectations I had.

 

  I practice Kenpo every morningwhich gives me mental and physical health. My eldest daughter gave a birth to a baby this year.  I’m now a grandfather to her.  It is difficult to believe this because Istill feel I’m young.  However myappearance is totally old.  This makes menuts.

 

第十八章

「京大通信添削コース」 

 

 

   ここ数年、通信生の数が増え続け北海道から九州まで生徒がいてくれる。あらためて、京大の英作文の添削に対する需要が大きいことを思い知らされる。

  大手の添削コースはいくらでもあるが、真剣に合格を考える生徒はもの足りないのだろう。私も名古屋の大規模予備校で勤務経験があるが、京大英作文は手ごわい。

  採点基準が分からないのだ。英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格していたが十分だと思えなかった。それで、結局京大を7回受けて採点基準を確認するしかなかった。

 

  特に、地方には高校レベルの英語さえ指導できる先生や講師が少ない。ましてや、京大となると指導できる先生がほとんどいない。大手の通信添削は、私も研究のため受講してみたが

「なんで、ここで減点されたんだ?」

 と思っても、採点者に直接質問できない。これでは、学習効果が上がらない。

 それで、

1、京大の採点基準をよく知る講師が

2、「安価で

3、写メやスキャンを使い早く返却でき

4、無制限に、直接、いつでも何でも質問できる

 の4条件を満たすコースを作ってみた。大手のようなマスメディアを使った宣伝広告など出来るわけがない。タレントも使えない。

 

 

  それで、無料の Youtube やブログで告知したら申し込みが続々と来た。そして、3年目には京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部、東京医科歯科大などに合格者が続出した。

  自分でも、ビックリしている。でも、賢い子たちは勉強熱心だから指導も楽しい。通塾生の方たちの指導にも役立つし、やってよかった。これは、時代も後押ししてくれた。

  思いついた頃に、社会にネットが普及したのだ。スマホが普及したのだ。私は運がいい。まさか、自分が北海道から九州までの生徒を指導することなど10年前は想像もできなかった。

  頑張れば、個人でも大手企業に対抗できる時代になった。

   

  地元の人はあまり理解がない。批判的に見る人も多い。

「アホは相手にしないのか!」

  と罵倒されたりする。そんなつもりはないが、反論しても仕方ないので生徒だけに目を向けるようにしている。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

                                          室生 犀星

『抒情小曲集』(大七)巻頭の詩「小景異情」その二(全部で十行)の冒頭。有名な詩句だが、これは遠方にあって故郷を思う詩ではない。上京した犀星が、志を得ず、郷里金沢との間を往復していた苦闘時代、帰郷した折に作った詩である。故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである。

 

  私の塾生の子たちも、地元から脱出したいと言う。自由にものを考えることが難しい場所なのだ。地方の良いところは多いのであるが、広い視野でものを考えるのが難しいのも事実だ。

 だから、チャレンジ精神旺盛な若い子たちには窮屈なのだろう。

  私も名古屋で生活し、アメリカで暮らし、世界中を旅行して故郷にもどったら、改めて日本の田舎の閉鎖性に気づいた。

 でも、それは口にすると単なる悪口にしか受け取られない。この状況では議論さえ出来ないので、脱出するしかなくなるのだろう。私は塾生の子に相談されると

「出ていくのもいいかもね」

 とだけ言っておく。こうして過疎が進むのだけど、仕方ない面がある。

 

 

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