第二十三章 「めいなんランチ」

第二十三章

「めいなんランチ」 

  当時、名古屋大学の東山キャンパスの南の端に「名南喫茶」という小さな喫茶店が設置されていた。

「メイナンにいるから」

 は当時よく使われていた言葉だ。私たちは、くだらないことを楽しく語り合っていた。まさか、そのくだらない生活を支えるために両親が懸命に働いているとは想像もしていなかった。親が子供を支えるのは当たり前と思っていた。

 ところが、父が亡くなった時にトラブルが起こった。姉たちが

「おまえだけ大学に行かせてもらったのだから遺産相続は好きにさせない」

 という。そんな風に思っていたんだ。初めて知った。想像も出来なかった。

 

 だから、Bくんが

「絶対に親には内緒だけど、お婆ちゃんが国立に落ちたても金を出して私立に行かせてくれるって言ってる」

 と言っても驚かない。各家庭でいろいろな事情があるのだろう。息子や孫の希望をかなえてやるために、親やお婆ちゃんが懸命になるのは分かる。自分が親になってから切実に分かるようになってきた。そうやって捻出している月謝を大切に使うのは塾長としての責務だ。

生徒集めのためにタレントを使ったCMに使うわけにはいかない。それが私の矜持であり、決定だ。

 Bくんは、その辺の家庭の事情をよく理解していて

「迷惑をかけられない。何としても国立大に合格したい」

 と言う。

 そんな生徒を指導した後で

「オレを分からせてみいや!」

 みたいな生徒を見ると(今はそんな生徒はいなくなったが)

「この子はBくんと同級生だけど、1000年経っても追いつけない」

 と思う。

ところが、そんな生徒に限って、保護者の方が

「なんとか桑名高校に合格させたい」

 と言う。できるわけがない。この瞬間に塾講師の覚悟が分かる。

「お任せください」

 と言うのはお金のために仕事をしている講師。

「今のままではムリです」

 と言うのは、真の塾講師。

 ところが、多くの保護者の方も生徒の方も金の亡者の方を選択するのだから困ったものだ。

 

  塾や講師の選択眼もない子や、その保護者が頑張っても結果が出ないことは明らかだ。これは、私の意見ではなくて現実だ。ムリな期待と押し付けると、その子はつぶれてしまうし。

  「ビリギャル」やら「バカヤン」を真に受けてはいけない。もともと賢かった子が、一時的にグレていただけ。エジソンやアインシュタインも教師からバカ扱いを受けていた。しかし、それは教師が評価ができなかっただけ。

 

  なんで今頃「名南喫茶」が懐かしいのだろう。名古屋大学など好きではなかった。一緒に語っていた教育学部の連中も特別に好きではなかった。しかし、社会に出て長年受験指導をしていると

「でも、あいつら理屈は通じたよな」

 と思うようになってきた。それが懐かしさの元になっているらしい。バカな生徒を指導するのは、賢い生徒を指導するより10倍は体力を使う。解説が5倍くらい時間を使い、練習問題の採点も3倍くらいかかる。若い頃ならいいが、歳をとると体力がもたない。

  体力だけではない。同じことを3回、4回と解説しているとストレスが溜まる。

  ストレスだけではない。バカな生徒は勉強が嫌いなのですぐ塾をやめる。経済的にも不安定になる。

  経済的に不安定になるだけではない。バカな生徒は落書きやいたずらが多く、備品を壊すし汚すので修理代や清掃費がかかる。

  塾をやめる子が多いと、チラシで募集しないといけないから宣伝広告費もかさむ。当然、月謝を上げなくてはならなくなる。

  その上、バカな生徒だと塾で一番大切な「合格実績」も上がらない。ハッキリ言って、そういう生徒ばかりが集まって閉鎖や倒産に追い込まれた塾をたくさん見てきた。

 

  そういう経験が重なると、今はもう無い「名南喫茶」の日々が懐かしくなってくる。あの時に語っていた相手は、今思うと私の指導している優秀な子たちだったわけだ。そんな子たちに囲まれていたのだから、話が合わなくても最低限のマナーは保証されていた。

 

 アイスコーヒーを飲みながら、ホットドックのような「メイナンランチ」を食べて、藤棚の花を見上げていたのは昔のことになってしまった。指導教官も亡くなってしまった。

 

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