瀬名秀明と野口英世に憧れて薬学部を目指した話
薬学部を目指した理由
私は、栃木県足利市に生まれました。
足利市は全国数ある小京都のひとつで、
日本最古の大学「足利学校」や、鑁阿寺などがあり、
非常に趣のある、品のいい土地です。
そこで生まれて、中学・高校と過ごしました。
私が薬学部を志した理由は、
・小児喘息で入院しているときに「野口英世」の伝記を読んだ
・中学時代の同じクラスに看護師、医師を目指す友人がいた
・「パラサイト・イブ 著:瀬名秀明」に感銘を受けた
主にこの3つです。
最初に医療に興味を持ったのは、持病の小児喘息で入院した時でした。
病院にあるプチ図書室に野口英世の伝記が置いてありました。
何の気なしに、その本を手に取り読んでみると、
野口英世の研究熱心なのに、プライベートは破天荒な生き方に感銘を受けて、
医療に興味を持ちました。
また、中学生の時の同じクラスに、医師、看護師を目指す友人がいて、
私は薬に興味があったので、3人で夜の公園に集まっては、
医療とは何かと議論していました。
当時は「真剣10代しゃべり場」が大流行していたので、
その真似事が楽しかったのです。
そして、一番の理由は、瀬名秀明に憧れたからです。
私は本を読むのが好きで、中学校の退屈な授業中、教科書の裏に本を隠して読んでいました。
その本の1つが「パラサイト・イブ」です。
「パラサイト・イブ」は角川ホラー大賞受賞作であり、
映画化やゲーム化もされるほど大人気でした。
主人公は大学でミトコンドリアの研究していたところ、
ミトコンドリアが反乱を起こして人間を乗っ取ってしまうというストーリーです。
そこで描かれていた研究風景は、当時の私にとっては難しい単語も多く、
半分も理解していなかったと思うのですが、
野口英世の伝記を読んだ時と同じで、
何か新しい凄い事をしているという事だけは感じていて、
研究の内容も非常に未来的でありワクワクするものでした。
この本を読んだ後、私はこう思いました。
この本みたいな研究がしたい!!
私も同じ大学にいけば、同じ事ができるはず!
著者と同じ東北大薬学部を目指そう!
単純なものです。
ここで、薬学部行きのフラグが立ちました。
決まった以上、目標に向かって進むだけでした。
しかし、想いと成績は反比例でした。
現役編
当時の成績は田舎の公立中学校で成績は中間。
偏差値でいえば50~55の間。
進学校の高校へ進学するのさえ、ギリギリでしたが、
中学3年の秋に奮いたち、毎日がむしゃらに勉強しました。
当時大好きだった、月9のドラマさえも見ずに勉強していたり、
お風呂の中でも暗記帳を持ち込んで勉強した記憶があります。
その結果もあって、なんとか志望校に入学できました。
後で、入学試験を自己採点した所、かなりギリギリのボーダーラインだった事がわかりました。
ここで落ちていたら、進学できなかったので今の人生は無かったでしょう。
受かって良かった。ほんとに。
高校進学後は、今までと同じでは絶対に大学に行けないと思い、とにかく勉強しました。
やはり、目指したのは瀬名秀明の「東北大薬学部」一択。
とりあえず毎日、授業の後に自習室にこもり、自習室が閉まる21時まで勉強を続ける。
先生の言われるまま、英頻を3回やり、青チャートを2回やり、出口の現代文を解き…。
とにかく言われた事はだいたいやりました。
その結果、成績はなんとか学年で上位をとることができましたが、
国立の薬学部に受かるほどまでは成績は上がりませんでした。
センター試験の結果、国立大学を諦め、私立へ目標を切り替えます。
当時はおかしなプライドがあって、私立に行くとしても、
東京理科大、北里、星薬科、共立薬科(現慶応)以外は偏差値の点で、大学ではないと思っていて、
その4校以外は受験しませんでした。
社会人となった今では、それほど学歴は重要じゃない事には気付いています。
ただ、学生は偏差値でしか評価されないという思い込みから、
偏差値ランキングがすべてでした。
現役の時は、その4校だけしか受験せず、結果は・・・
全敗。
現役で合格したのは、力試しに受けた「防衛大学校」だけでした。
私の事を知っている方はわかるかと思いますが、防衛大学校進学は体力的に無理です。
私、虚証なので・・・。
というわけで、防衛大学校をけって、浪人生活に入ります。
浪人編
足利から大宮まで2時間かけて毎日駿台予備校へ通学する事となりました。
朝は5時に起きて、帰りは遅くまで勉強してました。
野口英世が3時間しか寝なかったという話を思い出し、
3時間睡眠を続けて勉強をしていたら、
寝不足でげろった事も何回かありました。
それも今となっては、良い思い出。
目標校はもちろん「東北大薬学部」
しかし、現実は難しいもので1年間勉強しても、
最後の模擬試験の結果は合格したとしてもギリギリ。
落ちて2浪することは金銭的にも、精神的にもできない。
落ちたらどうしようという不安が常につきまといます。
しかし、夢を捨てられない私は、わずかな可能性にかけ、
前期試験は、東北大薬学部に出願しました。結果は・・・
不合格でした。
後期は、ランクを下げて富山医科薬科に出願するか、それとも、東北大薬学部を受けるか・・・。
悩みました。
ここで母に相談します。
ランクを落とせば公立に受かるかもしれない。
しかし、東北大の夢も捨てられない。
私は母にこう言いました。
落ちる可能性が高いけど、東北大を受験したい。
それを伝えると、母親は意外にもすんなりと背中を押してくれました。
自分のやりたい事をやりなさい
そう言ってくれました。
落ちたら学費の高い私立に行く可能性もあるのに。
自分の意思を尊重してくれたことがとても嬉しくて、涙目だった事を覚えています。
後期試験の結果は・・・
やはり、不合格でした。
現実は甘くはありません。
ずっと夢みた瀬名秀明の東北大学薬学部に入学する事は叶いませんでした。
理由は明確でした。
勉強が足りなかったから。
合格者は自分より勉強していた。
ただ、それだけです。
親には申し訳なく思いましたが、自分で決めたチャレンジだったので、
思い残す事はありませんでした。
不合格の最低限の責任として奨学金は最大限借りる事を決意します。
私立は北里、共立薬科に合格していたので、
病院もあり臨床が有名であった、北里大学へ進学する事にしました。
夢は叶いませんでしたが、私の友人が「北里でも十分すごいよ」と言ってくれたおかげで、これで良かったんだと思うようになりました。
今ではノーベル賞受賞者も輩出するほど、北里大学は名門であり自信を持って素晴らしい大学だったと胸を張って言えます。
この時は気づいていなかったのですが、私の尊敬する野口英世も北里柴三郎にお世話になっていたという事もあり、ひょっとしたら私には北里と何かの縁があったのかもしれません。
そして、最後に母への感謝を綴りたいと思います。
うちは貧乏なのに、母は勉強のためのお金はいつも、何も言わず出してくれました。
大学だって無理してまで私立大学に入れてくれました。
それが、野口英世の母シカのようで、今でもとても尊敬しています。
私は野口英世や瀬名秀明のような立派な研究者にはなれませんでしたが、
少しでも医療に貢献していこうと努力は続けています。
最後に尊敬する野口英世の名言で終わりにしたいと思います。
『過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。人生で変えることができるのは、自分と未来だけだ。』
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