英語がほとんどゼロでオーストラリアで掴みたかった事3

約1ヶ月半という短い期間仕事したレストランを僕は辞めた。
次なるステージへ。
今考えると、この頃の僕は完全努力というものをあまりしていない。

なんせ、仕事も友人に紹介してもらいラッキー。仕事は知人の紹介が一番^^なんて思ってた。


早く仕事決めなきゃと思いつつあまり動けずいた。オーストラリアの専用サイトで仕事を探しアプライするも連絡が一通もなし。
そんな時、ルームメイトの友人達とBBQをすることになりそこできた日本人の男の子と仲良くなった。

自分が仕事を探しているというと彼の職場を紹介してくれるという、なんていう親切さ。
自分めっちゃラッキー。

さてさて仕事内容はというと、サラダ工場でのサラダのパッキングがメイン。
時給は21ドル。夜ご飯付きだ。
お昼1時からー夜22時まで。

お金にハングリーだった僕はすぐに飛びついた。何も考えずただ時給につられて…。

オバカの始まりである笑。



これが僕の2個目の仕事だ。

初日、工場へ向かうと…そこは小さな中国だった。
韓国の次は中国ですか笑。

中国人7割、韓国人2割、日本人は僕とその彼のみ。

いいじゃーーん。日本人少なくてって思いますよね?


当たり前だが皆マスクして誰が誰か分からない。
ほぼ中国人だから僕が新入りではいってきたら中国語で話される。

ボスは英語で、仕事で僕をいつも呼ぶときに

Hello. Hello----------っていつも叫んでてた。

いや、英語初心者の僕でも Excuse me???だろって笑。


とにかく永遠と出来たサラダをパッキング。約10時間以上。

僕は初日で、

あ、これ続かない。無理だな俺。21ドルの価値が一気に下がった瞬間であった笑。



以前のアジアンレストランより無理だ笑
なんせ黙ってパッキングし続ける事は僕にとって正気を失わせるものだ。

NO MUSIC NO LIFE
そんな事人生で思った事ない僕ですがこの時ばかりは本気でNO MUSIC NO LIFEを実感。
そう、黙々やる上に音楽がないのだ。
何をモチベーションにしようか考えた。どうやって楽しんでやるか考えたあげく


でてこねーーーーーーーー。でてこないんです、なぜなら・・・・・・

考えると手が止まりそうになり、ミスをするから。




どう考えても続ける方向になれない。この仕事をずっとやってる人を心から尊敬した。


そして心に誓った、もう2度と工場では働かないと・・・そんなオーストラリアの3月真冬である。ちなみに僕の心もかなり寒くなってくるのである笑。




毎週月曜日にやる朝礼は中国語で本当にここオーストラリア?って笑ったのを覚えてる。
腕を組んで理解してるように聞いて・・いやごめんなさい半分寝てました。


そんな小さな中国と約3週間でのお別れである。

韓国▶︎中国。さて次は何処の国へ?笑

著者のHoshi Asatoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。