高木教育センターのありふれた日々(3)

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「そういうワルを指導するのが先生の仕事だろう!」

  というヤツだ。しかし、私はそんなことを口にする人に問いたい。

「何をされても黙って笑っているのか?」

  と。アホくさ。ここがアメリカと日本の決定的に異なる点だ。ユタ州なら、怒らせるような行為をする方が悪いと言う。しかし、日本では怒る方が心が狭いと批判される。

  人間は聖人君子ではない。それに、聖人君子ならワルを許したりしない。

 

『刺殺された教え子を悼む』

-黒磯市女教師殺害事件・心なき新聞論評記事に憤りつつ-

植村憲治(都留文科大学教授・数学)

 栃木県黒磯市の中学校で、私のゼミの卒業生腰塚佳代子が男子生徒に刺殺された1月28日夕刻、私は長引いた会議の疲れを癒やすため同僚と八王子市内で談笑の一時を過ごしていた。明日への活力を取り戻して帰宅すると、小学校一年生の息子が「お父さん、大変だよ、お父さんの教え子が刺し殺されたよ。」と子供としては精一杯緊張した顔つきで教えてくれた。その時点では誰のことだか分からず、学長へ連絡をとった。学長の口から腰塚佳代子の名前を聞いた瞬間私の目の前には、学生時代の朗らかな、そして思慮深さが伺える、いかにも知的な彼女の笑顔がはっきり浮かんだ。その笑顔は今でもしばしば私の目の前にある。まさに今この瞬間も文字の向こうに浮かぶ彼女の笑顔を見つめながら鎮魂とも言うべき一文をしたためている。

アメリカでは校内犯罪の凶悪化に対応して教師が警察から最低限度のサバイバル術を
伝授されているケースが非常に多いそのサバイバル術の中で銃やナイフを突きつけられた場合の必要な身の処し方として以下の4点があげられる
1.抵抗しないこと
2.議論しないこと
3.不意の行動をしないこと
4.相手の命令や要求に率直に従い、
 相手が怒っているのであれば
 すなおにあやまる
これを実践することによって死という最悪の事態は回避できる

 

  第二十章

「トラウマと思い出」 

  亡き父はウザかった。しかし、私は父の助けと理解がなかったら大学にもアメリカにも行けなかった。言葉にしきれないほど感謝している。生きている間に感謝の言葉をかけるべきだったが、もう遅い。

 

  私は名古屋大学を卒業した後、名古屋駅前に事務所を構えるある会社に勤務した。つまり、誰でも知っている大手だ。そこには第一営業部で売った教材を買ったお客様を集めて塾で指導するビジネスモデルの会社があった。講師たちは第二営業部に属していた。名前のとおり、社長は教材の営業が第一で、講師などオマケ扱いだった。

  ある日、社用車を駐車場に置こうとしたらスペースがない。社長に言うと

「そこらに置いておけ」

  それで。

「そんなことしたら・・・」

 と言いかけたら

「いいんだ!」

 とさえぎられた。もちろん、その後苦情がきてボンネットの中のパイプを引き抜かれてしまった。謝罪に行かされた。

 また、別の日には塾に保護者の方がみえて

「営業の人がうまいことを言って」

 と苦情を言われたので、社長に伝えたら

「おまえは、営業の者が汗水垂らして売ってきたものを」

 と罵倒された。

「金のためなら、何でもありなんだ」

 と思い知らされた。大手なんて、どこもこんなもんだ。名古屋駅前に事務所を構えるためには必要な経営哲学なのだろうが、教育とは無縁の世界。

ただ、私は生徒アンケートで40人中2番の人気講師だったからマシだった。生徒の支持のない講師など

「いくらでも代わりはおるんやぞ!」

 と恫喝されて気の毒だった。もう限界だった。ちょうどその時に、アメリカに行くことになった。名古屋大学を出て、転職を繰り返し、あげくに自分が戦争で戦ったアメリカに行くと言い出した息子を父は気持ちよく送り出してくれた。今思うと、心が痛む。

 アメリカについて、どこまでも青い空。広い空間に心が表われた気がした。しかし、日本で培われた人間不信のトラウマはなかなか消えなかった。

同僚の理科教師アランに

「今日、パークシティに行くがついて来るか?」

 と尋ねられても

「何か裏があるんじゃないか?」

 と警戒した。人を信用していなかった。ところが、エリックが水上スキーに連れて行ってくれた時も、校長会がヨットのセーリングに連れて行ってくれた時も、単なる親切心で、裏など何もなかった。

  それで、あまりのことに混乱して、親しかったロンに

「なんでローガンの人はこんなに親切なんですか?」

 と尋ねた。すると、

「うーん、難しいな。たぶん、この世で良い行いをすると神様が見ているから」

 と言う。

「そんなバカな!そんなことあるかい!」

 と思っていたが、違った。本気でそう考えて行動しているらしかった。

 日本に帰国後に、四日市のキリスト教会に通った。でも、日本の教会はアメリカの教会と全く違った。ある時

「高木兄弟は、仕事と教会のどっちが大切なんですか?」

 と尋ねられた。それから教会に行っていない。

 

 結婚する時は、義理の母親に

「なんで名古屋大学まで出て塾やっとんの!」

 と反対された。

 ある時、電話がかかり

「A塾が高木先生は塾を閉鎖するからA塾に移るように言われたけど、そうですか?」

 とのことだった。

「日本人はバカか!!」

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