第三十四章 ナシ婚、ナシ校、2015年

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第三十四章 

「ナシ婚、ナシ校、2015年

 ナシ婚

  厚生労働省が行った調査によると、2011には67万件の夫婦が結婚したということであるが、その中で結婚式を行った夫婦というのが35万件であったとのことであるから、近年では結婚を行われる場合でもナシ婚となる割合というのは半数近くであるということである。

このようなナシ婚が選ばれる、または挙式を忌避される理由としては「披露宴に数百万円もの費用がかかる」(他のことに金銭を使いたい)ことや、「人前で目立ちたくない」「披露宴まで行う必要がない、と割り切る」など、特に経済的事情が数多く存在しており、2000年代以降の若者は結婚式などといった事柄に多額の金銭を費やすよりも貯金をしたり他の事柄に金銭を使うべきという考えが多くなっているからとのことである。

 

  経済的な理由もあるだろうが、今どきの若者は中身のない儀式には意味が見出せないらしい。そんなものにお金もかけたくないし、参加したくない。それは、学校も同じことらしいのだ。

  私は商売人の息子として育てられた。中身のない虚業の危うさは身に染みている。亡き父の教えだ。

  1960年代、私は阿下喜小学校の生徒だった。1クラス43人。団塊の世代の次の世代の私たちは、まだ受験戦争の真っ只中。三重県の片田舎にも、退職した先生などのやる塾があった。

  でも私は塾には興味がなかった。この頃は、鉄腕アトムや鉄人28号に夢中になり、大阪万博に何度も足を運んだものだ。しかし、同級生の人数が多くて高校入試も大学入試も激しい競争だった。神経衰弱で入院したほどだった。

  高度経済成長の中で三重県ではS塾という塾が企業的な塾を始めた。その頃、私は三重県を離れて大学生だったので塾の動向は分からなかったが、大学を卒業して、アメリカから帰国した1980年代は「河合塾」「駿台」「代ゼミ」の3大予備校の時代だった。予備校から、塾にまで手を広げていた。

  今もそうかもしれないが、高校より予備校の模試の方が信頼感を持っていた。駅前にビルを建てて見た目も立派だし、出版物も多く隆盛を極めていた。

 刈谷で塾講師をやっている時は、勤務している個人塾が河合塾の支部教室と競合していた。三重県ではS塾が拡大中らしかった。

 

  その1980年代に、東進衛星予備校が3大予備校に食い込もうとして創業された。

 

東進衛星予備校(とうしんえいせいよびこう)は、株式会社ナガセによって経営される東進ハイスクールの部門の一部(予備校)[3]1985年に開校した東進ハイスクールが、1991年に衛星授業サテライブを開始し、自校舎への映像配信システムを他の学習塾が利用できるシステムに発展させたものが東進衛星予備校で、現在全国に約800校ある。映像配信システムとフランチャイズ方式を用いた大学受験予備校。講師の講義を通信衛星やインターネット回線を利用して全国の加盟校に送信するシステムを用いる。

  これは、退職した教師などが塾をやっている地方にとっては朗報だった。なぜなら、三重県などの地方ではマトモな塾講師がいなかったからだ。都市部の一流講師が録画した授業を地方に配信するシステムは画期的だった。もう30年も前のことだ。瞬く間に、全国に広がっていった。

三重県を席巻していたS塾の高校部門も東進衛星予備校の軍門に下った。当時はビデオが最先端の技術だったのだ。

 

  ところが、東進学衛星予備校が軌道に乗った2005年頃に、インターネットが普及して、Youtube が始まった。

 

  PayPalの従業員であったチャド・ハーリースティーブ・チェンジョード・カリムらが2005年2月15日カリフォルニア州サンマテオで設立した[3]。初めて動画が投稿されたのは同年4月23日である[4]。設立のきっかけはハーリーらが友人にパーティーのビデオを配る方法として考えた結果に作った技術を使い、「皆で簡単にビデオ映像を共有できれば」と思いついたことによる[5]

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