あこがれの関西トップ大学の入学式にいったのがエイプリルフールだった話。

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たまに後輩がグラウンドでサッカーをしているのを見る。

あの頃もっとがんばっていれば、最後の試合にも出れたのだろうか。。。

いや、もう後悔をするのはやめよう。

悔しい思いをしたからこそ、これをバネに受験を乗り越えようと心に誓った。


時期は11月ぐらいになったが、模試の結果はひどかった。

R大学の判定はE判定。

そこにはこう書いてあった。



志望校変更の余地あり。



さすがにショックだった。。

いや、結構頑張ってたしCぐらいあるだろw

なんて思ってたが、これは焦った。


しかし僕は考えた。

この模試はサンター試験の方式での試験であり、自分が行きたい大学の試験方式とは違う。

センターの問題と一般受験の問題はそもそも違うのだ。


親にはランクを下げた方がいいのではないかとも言われたが、

自分を信じあきらめず頑張り続けた。


サッカーで挫折した以上ここで負けたくなかった。


不安な事もあったけど、元が元だし、これからいくらでも伸びる。

僕はR大学に受かるためだけに、過去問を何度も解き、そこの大学に受かるためだけに対策した。

というよりも半年という期間ですべての勉強を終わらせることができなかった。

だから試験までに僕は、古文の活用形でさえ完全に覚えてなかった。


単純にバカだった事もあるが、文法問題があまりでず、出たとしても簡単な問題という事が過去問を繰り返すうちにわかったからだ。なので僕は他の勉強を重視した。


そして、願書を提出し、試験日程を決めた。


僕は滑り止めとして、

中堅大学といわれる大学の前期と後期。

あとはR大学を4回と試験日程が空いていたので他の難関大学の1つを受けた。


合計7回の受験だった。

もはや数打ちゃあたるだろ!の気持ちだった。


そんなに大学受験は甘くないだろうとは思っていたが、僕はこの大学に受かるためにやってきたのだから、自分に自信をもって試験日程を組んだ。


そして時は進みセンター試験が始まった。

僕は国公立志望ではなかったので、センター対策もほぼしてなかったのであまり受ける意味もなかったが、試験という雰囲気を感じておくのもいいと判断し、受験した。

しかし思った通り全然できなかった。

もはや英語のリスニングの試験は受けずに、途中で抜け出し家に帰った。

それだけまだ勉強しておくことが残っていたのだ。


またそこで試験の休み時間に顔を暗くしてる人や、泣いている人も見かけた。

おそらく予想以上にできなかったか、もしくはマークミスに途中できずき間に合わなかったか。


センター試験は1回勝負。

国公立志望の人はここで失敗すれば場合によっては第一志望の大学の2次試験を受ける事もできないのだ。僕はそんなものに挑戦する国公立組を本当に尊敬したし、センター試験ほど残酷なものはないと思った。

そんなことを感じながらも、僕はセンター試験を終えてからも一般入試ギリギリまで必死に勉強した。


そしてついに私立大学の一般入試の受験期間に入った。


始めは、中堅大学の前期日程の試験を受けた。

手応えとしてはまずまずだった。


そして本命のR大学の試験が2日続き、

1日休みが入り

また2日R大学の試験を受けた。


正直にいえば、始めの2日のできはよくなかった。

2日とも3教科中2教科はまだ手応えがあっても、1教科は難しく感じできた気がしなかった。


ただそれでも1日の休みで2日分のテストの復習をした。


どこかの説明会で、どこかの予備校のお偉いさんが

「R大学はその年によって、試験の出題傾向が似ているので復習をしっかりしよう!」

「データでは受験回数が多くなるほど、合格率があがっている!」

などといっていたからだ。


そもそも受験回数が多ければチャンスが増えるのだから、合格率が上がるのも当たり前である。

しかし僕はバカ正直にこの事を信じてしっかり復習をした。

もちろん試験でできなかったことは、自分がまだ見落としているところなのだから復習はすべきである。なかには自己採点して、落胆してしまうからしないという人もいたが、僕はおそれながらも自己採点をし、できていなかった所をしっかり補った。


やれることは最後まであきらめずやったと思う。



そして本命のR大学の試験4つを終え、もう1つの難関大学の試験を1つ受験し、

あとはもう1つの滑り止め大学の後期日程の受験を残すだけだった。


最後の試験を迎える前に、まず前期日程の滑り止め大学の試験結果1枚のはがきで返ってきた。





中をめくると合否が書いてあるのだが




不合格だった。



まじか。


これにはかなり焦った。1つランクの下の、しかも滑り止めで受けた大学なのに、まさに滑った。

もはや滑り止めで落ちたのだから、第一志望なんて普通に考えて危うい。もしかしてどこにも受からないのではないかと本気で思った。


親もなかなか心配していたが、

あきらめずにやっていたしどんな結果でも大丈夫だよ

といってくれた。


でも僕は最後まであきらめたくなかった。

それはサッカーで味わったあの苦い思い出を無駄にしたくなかった。

あの経験をバネにし受験で成功して、周りを見返したかった。


もう第一志望のR大学の試験は終わっているが、最後の滑り止め大学の後期日程の試験もあきらめずがんばり、そして一応すべての試験を終えた。


そして合格発表まで1週間待つことになった。


この期間は合格も決まっていないし、心から遊ぶ事もできなかったが、もうやることはやったのだと有意義に時間を過ごした。周りの友達で合格が決まったという声も耳にしたり、徐々に大学受験を終える者も増え始め、自分の第一志望であるR大学の合格発表も1日1日と近づいていった。




そしてついにその日がやってきた。

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