第三十七章 胆管結石と通風の痛み
第三十七章
「胆管結石と通風の痛み」
病気の中でもっとも痛みの激しいものを挙げると、結石と通風と言う人が多いそうだ。私は両方とも経験している。30歳の頃、授業をしていたら突然脇腹に痛みが走りその場にうずくまり病院に担ぎ込まれた。名古屋の河合塾学園に非常勤講師の職が決まったばかりだったので、病院から手術で1ヶ月ほど勤務できなくなったと電話をしたことを覚えている。

短期間の入院ですむ腹腔鏡手術を希望したら無理だと言われ、手術を避けて音波で割ることは出来ないか尋ねたら石がバラバラになったら事態が悪化すると言われた。結局、開腹手術になってしまった。ベットの上で身動きできず、寝返りもままならなかった。その時に考えた。
「好きな所に行けて、好きなものを食べられるって最高だなぁ」
私はもともと酒、タバコ、ギャンブル、女遊びなどとは無縁の生活をしていたが、そうした行為の愚かさを改めて認識した。通風だってそうだ。肉食やストレスが良くないそうだが、ストレスのない生活など無理ではないか。しかし、歩くことも出来ない痛みの中で考えた。
「くだらないことで悩むのはやめた。下らぬプライドや馬鹿な人のことはスルー」
若い頃は、運動でも勉強でも限界に挑戦し続けて倒れるまでやった。しかし、歳をとったら無理をすると本当に死んでしまう。自然に無理をしない自然な生き方をするようになった。
10倍の収入があっても10倍食べられるわけではない。100倍の収入があっても100人の妻が持てるわけではない。食欲とか性欲など空しい。金銭欲もむなしい。そういう人生観に変わっていった。
英語が話せても、数学の問題が解けても、楽しいけれど、それだけのことで誇る気持ちが消えていった。塾講師なので広報はしなければならないけれど、人として才能があるか否かは決定的なものではない。
勘違いした人が「威張るな!」「バカは教えないのか」「自意識過剰」など罵倒が飛んできても、どうでもよくなった。無礼な人、非常識な人、素行不良の生徒などの相手をしていたらストレスで殺されてしまう。そんな人の相手はできない。罵倒されても、近づくつもりはない。毎日を穏やかに暮らすためには、礼儀正しく、常識を身に付けた人、礼儀をわきまえた生徒だけを相手にするしかない。
もし、ここに100人の人がいて泳げる人が1人だけなら誰から泳ぎを教わりたいだろうか。もちろん、泳げる人だろう。ところが、人間社会ではそうなっていない。泳げない人の中には金持ちや社長もいるだろう。泳げる人が、ただの農家の人であることもあるだろう。
すると、多くの人は金持ちや社長という肩書きに引きつけられて泳ぎを教わろうとする。そして、溺れて死ぬ。しかし、賢い人は肩書きやお金など関係なく、その人を見る。だから、溺れずに助かるのだ。
名誉欲、金銭欲にとりつかれた人の末路は、えてしてそういうものなのだ。私は同情などしない。自滅してください。
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