STORYS連続100日100物語を書く
という無謀なことを決めてみた
昔から、ふと思ったことをいきなりやり始める。
「やりなさい」と言われたことは、やらない。
自分がやりたいと思ったことしかやらない。
どうしてもやらなければならないことは、最小限でなんとか突破する。
みんなに合わせることが普通の日本にいて、わりと好きにやってきたのじゃないか
と思っている。
誰かが言ったからやる。
誰かがやっているからやる。
そんなことは、お断りだ。
大事なのは、私がやりたいか、やりたくないか。
意味があるかないかじゃない。
そもそも、こうしてSTORYSを書き出したのも、単なる好奇心で、
2日目には、「100日連続して100物語を書く」と気軽に決めて、
フェイスブックにその旨をアップした。
今日で8日目、これで8物語だ。
もうすぐ今日が終わるので、あわてて書いている。
一日目にアップした物語、
「22歳で無計画に会社を辞め、無資金で学習塾を開いた、
【無謀女子な結末】は○○」は、8日目にして☆111、話題のストーリーに選ばれた。
反応がすぐにわかるので、STORYSは、アップしていておもしろい。
おもしろいから、やっている。
それって、とても大事だと思う。
おもしろいと思わなかったら続かないし、おもしろいと思うのにはわけがある。
人って、自分が伸びている時に、おもしろいと感じると思うのだ。
毎日同じことをやっていたら、おもしろくない。
やりたくもないことをやっていたら、おもしろくない。
言われたことをただやっていたら、おもしろくない。
刺激的なおもしろさは、あきる。
あるいは、感覚がマヒしてどんどん、強い刺激を求めるようになっていく。
本当に自分がおもしろいと思うこと。
この感覚にしたがってやっていけば、人は自然に伸びていく。
だから、私は、結果がどうなるかわからないものでも、
自分がおもしろいと思うことは、やる。
その基準は、自分。
いつだって、自分が基準なのだ。
私は、私を生きたいから。
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