父が死にました。 父と子の41年間の終焉。ありがとう。お父さん。こんな出来損ないでも愛してくれた事。とても感謝しています。天国で会いましょう。

1 / 2 ページ

 俺は劣等性。親父は天才奇才。明らかに違う遺伝子だと思っていたが、同じ苦悩と叫びを、俺と同じ中学時代に既に気づいていた父のセピア色に変色していたアルバムと日誌。お父さんも気付いていたんだね?自分がマイノリティーだと言う事に。


 貴方が肺がんに侵され、気づいた時には余命一ヶ月と診断された時の貴方の気持ち。判らなかったけれど、何時までも格好良い父の背中を見せてくれたね。貴方の代わりにはなってあげられなかったけど、少しは今、天国で安心していますか?俺の姿は酷く無様で格好悪いけど、それでも毎日を懸命に生きています。


 貴方のように最期の最期の日まで気丈で気高く、いつでもケラケラと笑って、病院からの帰り道、駐車場まで見送ってくれた貴方の姿は僕の目にハッキリと焼きついていて、僕の死期が来るまでの、僕の病魔との闘病を支えてくれる大きな柱となって今もなお残っています。

 

 僕は何時も大きな決断が迫られた時に大失敗を犯す。高校受験。大学受験。発病。結婚。離婚。何時も何かで失敗していたね。でも期待に添えられなかったけど、良い息子だったでしょ?最終的にはさ?


貴方の宇宙のような広い心と厳しさの中で育ったから、僕にはうちが普通だと思ってた。


結婚した後、普通の家庭が判らなくって、戸惑って、結局は結婚は失敗しちゃったけど、家族が五人揃ったあの家で貴方と暮らせた事を、本当に今嬉しく思っています。


貴方が亡くなって四人家族になるかと思っていたら、兄貴が結婚して、僕の生き別れになっていた息子と娘とも会うことが出来、周りから見たら幸せに見えるんだけど、貴方が居ないのが何よりも辛いです。


貴方が亡くなって、霊柩車で運ばれる貴方の姿を見ることも、貴方の骨を拾うことも精神的に無理で、母と二人きりで家で遺骨になるのを待っていた、あの気の遠くなるほどの空白の時間。


気を利かせて霊柩車が我が家の前を長いクラクションを鳴らせて行った、気の狂うほどの長いクラクションの長さ。あの音がまだ耳の中で鳴っているんだ。


もしかしたら永遠に、この苦難を乗り越える事が俺には出来ないのかも知れないけど、障害を抱えた家族(まさか家族全員が障害者だったとは思いもしなかったんだけどね)を守るのは家に残された唯一の男の最期の役目だから、僕の目の黒い内は任せておいて。何も出来ないけど、僕には不屈の精神と、貴方の魂が宿ってるから、絶対に諦めないし、残された家族を見捨てない。


貴方の孫の方は、聡明で逞しい健常者の元妻が頑張ってくれてる。僕達は別れてしまったけれど、同じ遺伝子を持つ子供の親として、限りない愛と経験を伝えて行くつもり。


障害者だからと言って、自分を卑下していたけれど、自分をずっと卑下していくのには、人生は余りも長く、一日も気が狂うほどに長いよ。


貴方の後ろ盾の無くなった我が家では、太陽が照っていない真冬の北海道のような寒さだよ。心も身体も凍えそうだよ。


貴方が大好きだった焼き魚は貴方が亡くなってから食卓に並ぶことは無くなったよ。大好きだったすき焼きも今年の冬は出ないと思う。貴方を思い出すから。


貴方を思い出すものは食卓にはずっと出ないと思うよ。貴方が大好きだったタバコも酒も我が家では禁忌になったよ。


貴方の愛した机と貴方の寝ていたベットは貴方が眠っていたまんまにしてあるよ。本もそのまま。


一周忌が来たら、貴方の部屋に俺が移動することにしたんだよ?良いでしょう?お父さん?



産まれて気づいた時には、何時も傍に居た父。


アホな子供として皆からバカにされながらも、愛を受けてると知った小学校一年の始まり。


それはひょんな事から始まった偶然と言うには出来過ぎていて、作り話だろう????と言われてしまう僕と親父の逸話。


僕は友達の土門の家の犬が好きだった。


ポメラニアン。


事故の前の記憶はほぼ無い。ただ犬の散歩をしていて急に犬が走り出したのを追っかけてった。


そこまで。はい。記憶が飛びます。


気付けば病院のベッド。何やら自分の身の上に何かおかしな出来事が起きた。その位。


左足には大きな包帯と言うか粘土細工で作ったような石膏がくっついていた。触ってみるとこつんこつんと良く響く音がする。僕は面白くって、こつんこつんと、何度も自分の左足の付け根からずっと伸びている石膏を叩いていた。


すると頭で「ごつん」と言う音。そこらから僕の記憶は残っている。


父親が、泣いてるのか怒ってるか良く分からないが、僕が遊びだした事に泣いてる様子。


「良かった。本当に良かった」


 頭をもう一度「ゴツン」と親父の拳が飛んできた。


僕はベッドに固定されており、左足の先にはロープのようなものが付いていて、当時は知らなかったが、牽引されていた。左足大たい骨骨折。


曲がって折れており、まっすぐしないと将来歩くことや走ることに障害が生じるから、牽引して真っ直ぐにするという事だった。


痛いという記憶と親父の半泣きの笑い顔が忘れられない。


ここで不思議な偶然が産まれる。父は僕と離れた場所に居たのに、救急車が病院に着く頃あたりには病院に居たという偶然。


後で母が話してくれたんだが、父の友人で警察無線や救急無線の傍受を楽しむ友人が居て、その友人と一緒に遊んでいた時に、警察無線と救急無線から僕の名前と僕の病院名と、トラックとぶつかって病院に運ばれてる途中と言うことを知ったらしい。


まあ、普通の考えから言ったら、そんな無線の傍受をしてる友人も、褒められた趣味とは言えないが、その時は、父親は自分の小学校に上がったばかりの息子がトラックとぶつかったと言う事を知った事が、偶然とは思えないと思ったと良く話していた。


幼稚園がキリスト教系の幼稚園だった為に、神様の事は小さい時から考えていた。イエスキリストのことも良く考えていた。不思議と昔から変な事に巻き込まれたり、事故に合いそうになると、その直前に何かが僕を支えてくれている事も、感覚的に知っていた。


普通から考えたらトラックが走っていて目の前に急に小さな子供が飛び出してきたら、驚くし、ブレーキ等踏む余裕も無かったことだろう。だが助かった。そしてそれを電話ではなく無線で知った父。これが初めての出来すぎた親父と僕のスピリチュアルな話。


運命と言うものもあるし、この世の全ての事は神様の計画の内みたいな事を、幼稚園の園長先生は話していた事を思い出す。そして現在の私は、敬虔とは言いがたいが、プロテスタントの洗礼を受けたクリスチャンである。


その小1の事故の時、ベッドの横に退院するまで、毎晩泊まって暮らしていてくれたことを思い出します。そんな親は後で知ったんだけど、聞いたことが無いよ。普通は毎日通ってくれるけれど、毎日泊まるなんて、死期が迫ったホスピス患者あたりの家族がようやくしてくれる程度だよ。本当に今思えば、こんなバカ息子のために、ありがとう。バカ息子は治らないけれど、でも色々と逞しくなったよ!!(笑)


そして事故二度目。時速七十キロのスピードで走る車と正面衝突して、奇跡的に無傷で済んだ不思議な少年と、これまた真っ先に駆けつけたのが父親であったと言う不思議な話。


小学校五年生。


母親は当時マラソンを趣味としていた。それも夜に走る。当時の我が家はケーキ屋さん。


俺は劇団に所属していて、オーディションや、テレビ番組の収録などで早朝や深夜に撮影に行く事等もあった為、夜の十時という時間は、そんなに遅い時間ではなかった。


ただ母がその日は八時位に家を出て十時半位になっても帰って来なかった為、僕は心配になって近所を探しに行くつもりで無灯火のチャリに乗って、自動車の走る走行車線を逆方向に向かって、母を訪ねて三千里みたいな気持ちで家を出た。


僕は事故とか死とか危険とかやっちゃ駄目とか、そう言った普通の感覚が身に付いてないらしく、元々が危ない少年だったが奇跡的に小一から小学校五年まで事故は無かった。


ただ、神様は時として知らせてくれる。こういう時に注意しなさい。。。とかね。


敢えて苦難の道を行かせることもある。そこに知恵や知識を与えてくれるのであるが、僕は敬虔なクリスチャンでもなんでも無かった為、適当に何の危険も察知しないがまま夜の車道を暴走運転。


偶然でも何でもない必然的な車との正面衝突。


まあ当然だよね。夜の時間にその位のスピードで走る車は当たり前。


迷惑なのは僕の方。死んでて当然。無傷だったのが信じられないって、事故を起こした車の運転手さんが言ってた。


その時の状況はこうであった。


車に衝突したチャリの上空に少年が飛んだ。その少年を撥ねたと思った車の運転手さんは、気付いて急ブレーキ。右にハンドルを切ったらしく、少年の身体がボンネットの上に着地。そのままブレーキ踏んだまま進んでったら草むらに落ちたんだって。


普通だったら70キロとぶつかったら無傷じゃないよね?それが不思議と無傷。


ここでも気付いたら親父が居た。隣に。


母も来てはいたんだけど、僕の真横を父親が陣取ってるために、母は見えない位置。母を捜してたはずなのに、父が居た。変な話って思ったけど、父が末期がんで死ぬまでに、驚くほどの父との想い出があります。


何かの新聞の記事か、テレビ番組で、はぜが最高に釣れる場所を発見したと、親父が狂喜乱舞して、一緒に釣りに連れてってもらって、爆釣するぞといって、兄貴と三人ではぜ釣りに行って、一匹しか釣れなくって、虚しかったけど釣りと言うものが結構暇つぶしになると言う事が分かり、その後の人生において、釣りが僕の趣味になったこととかもありましたね?


僕は、バカに生まれ(出来損ないとか、あほとか、しょっちゅう言われてましたよ、ずっと昔から僕は)、バカを直そうと必死になって家庭教師代わりに親父が教えようとするんだけど、元々やばい病気を抱えていたため(この病気は二十二歳まで発見されずに見過ごされたんだが)、どだい人の言うことや授業に着いていけるはずも無かったんだけど、一生懸命教えてくれてる親父の姿が聞いてるとどんどん遠くに見えると言う、本当にバカな子供だったんだけど、本当に期待に添えられなくってごめんね。


あと僕は悪の限りを尽くしたため、小学校の担任の先生から、この子は将来、詐欺師か犯罪者にしかならないと言われてしまい、困らせてごめんね。


みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。