高木教育センターのありふれた日々(5)
設備も栄養状態も良くないアフリカの選手がオリンピックで勝つことが多い。黒人の運動能力だけなら、アメリカの黒人選手が一番有利だろう。しかし、運動能力でさえ環境で語れない。知的な能力は、環境ではなくて本人の才能とやる気がすべてだ。
そのやる気を鼓舞する一番良い方法は、競争だ。だから、文科省が否定しても現場では偏差値も順位も出す。逆に、出さないここでは悲惨な進学実績となってしまう。指導者が偏った思想に洗脳されていると、生徒が犠牲になる良い例だ。
四日市合格者数
H27 H26
1、陵成中学校(桑名市) 16 23
2、光陵中学校(桑名市) 24 9
3、藤原中学校(いなべ市) 6 6
4、東員第一中(員弁郡) 3 4
員弁中学校(いなべ市) 1 4
高木教育センター 2 3
6、 大安中学校 (いなべ市) 4 2
7、東員第二中 (員弁郡) 1 1
北勢中学校(いなべ市) 1 1
このデータを見せられても
「自分の息子(娘)をぜひ東員第二中学校(北勢中学校)に入れたい」
と言われるご父兄はみえるだろうか。
「私はぜひ北勢中学校(東員第二中学校)に通いたい」
と言う生徒がいるだろうか。塾や予備校なら、とうに倒産している。
第四十三章
「なんで数学者なのに、神様を信じる人がいるのか」
ボールを打つと
「すごい!あれならホームランだ!」
と思う子もいる。その打球を目で追いながら
「あれは放物線だ」
と思う子もいる。あるいは、カテナリーと似ていると思うかもしれない。
カテナリー曲線(カテナリーきょくせん、英: catenary)または懸垂曲線(けんすいきょくせん)または懸垂線(けんすいせん)とは、ロープや電線などの両端を持って垂らしたときにできる曲線である。カテナリーの名はホイヘンスによるもので、"catena" (カテーナ、ラテン語で「鎖、絆」の意) に由来する。カテナリー曲線をあらわす式を最初に得たのはヨハン・ベルヌーイ、ライプニッツらで、1691年のことである。
カテナリーが三角関数で表現できると知っている子もいるだろう。つまり、同じモノを見ても学力の度合いによって違ってみえるわけだ。中学レベルの放物線を習えば人工衛星の仕組みも分かる。
私は字幕スーパーがなくても英語の映画が楽しめるし、英語の歌は歌詞を見なくても大抵は理解できる。高校生の頃まではチンプンカンプンだったが、今では英語が自由に読める。同じ音声を聞いても違って聞こえる。知識があれば記号も意味を持つ。
私は、この素晴らしさを生徒の子たちに少しでもいいから伝えたい。そういう思いが無ければ、英検1級など受けなかった。京大を7回も受けなかった。こんなブログを書いていない。
頑張っていたら、神様は私に才能豊かな生徒の子たちを預けてくれた。意図してやったわけではない。この世は全てが見通せるほどシンプルではない。どの参考書、どの問題集が良いのか。そういう些細なことではなく、数学や英語が自分の目を大きく開けてくれる喜びがなければ環境を整えても意味がない。
夜空を見上げたら、
「あぁ、自分は過去の世界を見ているのだなぁ」
とか、
「あそこで核融合が起こっているのか。ところで、核融合ってなんだ?」
勉強の種など、どこにでもある。しかし、無知だと
「見ているのに、見えていない」
ことになる。私は数学の問題にヒントを出しながら、よく思うのだ。
「あぁ、この子にはヒントには聞こえていない」
自分の手足が動いていることさえ、私には不思議なのだ。優秀な理系の生徒とは、この不思議な思いが共有できる。勉強嫌いの子は
「何を食べると成績が上がりますか?」
と言った質問しか出てこない。そんなことではなくて、
「三角関数の媒介変数表示が、なんでこんなに綺麗な曲線を表すんだ?」
という疑問が大切。そこから数学の問題を解く強い動機づけが引き起こされる。そして、追求すればするほど
「いったい、この世はどうなってんの?」
と疑問が膨らむ。
「この世は、なんでこんなに精密で美しい数式で表現できる構造なんだ?」
と、何となく創造主の存在が感じられてくる。
第四十四章
「ボクは学校が嫌いだ!」
私が小中学生時代を過ごしたのは昭和40年代の高度経済成長期の真っ只中にある三重県の片田舎だった。私の父親は小さな靴屋を営んでいて、けっこう繁盛していた。だから、私は小さい頃は靴の紐を通したり、値段のスタンプ押しをしたり、大売出しの時は帳簿を付けたりして手伝いをしていた。
どこに行っても
「大事なアトトリだね」
と言われていた。父は私が自分の後を継いでくれると期待していたと思う。
子供の頃から、ライバルの店が繁盛すると自分が潰れる。そういう競争関係は生活実感でよく分かった。だから、中学校に行った時に「愛」だ「絆」だと教師が唱えて、机を強制的に5個づつくっつけて「班」を作らせ教えあい、助け合いを強行したのに違和感があった。
受験の只中にある現役中学生の実感としては
「ライバルに負けたら自分が落ちる」
であった。ライバルに教えあい助け合いなどと綺麗ごとの偽善にしか聞こえなかった。中学3年生の夏休みには学年主任に電話をして
「このテキストやりたくないので、自分で選んだテキストで勉強します」
と言って宿題は提出しなかった。だから、北勢中学校を卒業して四日市高校に行けて嬉しかった。清々したのだ。
四日市高校は180度反対の教育方針。順位付け、偏差値輪切り、合格実績づくりが全てのような学校だった。クラス分けも、当時は「国立理系」「国立文系」「私立理系」「私立文系」の4つだったが、これは事実上学力順位で決まるようなものだった。
この頃、ある女子に履歴書に張るような写真を郵送してつき返された。自分は女子とうまくやっていけない予感がした。それは、後年現実になった。
名古屋大学に進んだときは
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