高木教育センターのありふれた日々(5)

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「旧帝の教授くらいなら尊敬できる人たちだろう」

 と大いに期待した。それなのに、教育学部で学校の授業を面白くする工夫を講義している先生の授業はおそろしくつまらず学生たちは寝ていた。学歴など下らないと言っている教授がコンパで酔っ払うと

「オレ様は東大卒だ」

 と叫び、大学院生の中には教授の娘と結婚して出世しようとする人もいた。理論には実験的な裏づけなどなく、教授という肩書きだけが理論の裏づけだった。

 ただ、学問の世界を飛び出しても負け犬の遠吠えで生きていけない。途方に暮れた。これが、私が英語の資格を取り、数学も勉強した理由の原動力の一つになった。

 私は父の期待に応えられないのが心苦しかったが、客商売はできないと思っていた。

 考えてみたら、学校を全く信用せずいつも自分で勝手に勉強してきたので大学を卒業しても当たり前のように自分で計画し、テキストを探し、場所を探して勉強し続けられた。

 この頃、三角関係で修羅場となり女性と関わることはもう御免だと思っていた。

 1982年の1年間のユタ州ローガン中学校での指導経験で多くのことを学んだ。日本では

「クラスの一致団結だ!」

 と言っていたが、ローガン中学校はクラスなど存在していなかった。大学のように

「次はフランス語だから」

 とフランス語の教師の待っている教室に移動していくだけだった。

 日本では

「クラブと勉強の両立だ!」

と言っていたが、ローガン中学校ではクラブは存在していなかった。午後の2時半になると消灯。学校にいるのは掃除係の男の人だけだった。教師も帰宅した。

 では、日本人の教師が主張するようにクラスやクラブがないと偏った人格が形成されるのだろうか。もし、そうならばアメリカの中学生は全員偏った人格になってしまうが、現実はそうではない。

 学校の先生の言うことは、ことごとく嘘だった。だから、私は塾講師・予備校講師を始める時に

「私はウソはつかない」

 と決めた。

ところが、多くの人は本当のことが嫌いなのだ。私の出会う塾生とその保護者は大別して2グループいるように思う。よく世間で言われる保守派と革新派。あるいは、右翼と左翼。

私は妄想派と現実派と言いたい。前者は受験で生徒たちが競争で必死に戦っているのに「人間は助け合いと絆だよ」と言う。根拠もないのに「大丈夫」とウソを言う。後者は「合格しないと何も始まらないだろう」と言う。私は塾講師だから、基本的に後者のスタンスだ。

 三重県では文科省が舵を切ったのに「ゆとり教育」の雰囲気のままだ。テストの校内順位は隠蔽されたままだし、偏差値や業者テスト追放が行き過ぎて今年(2015年)県内で最大規模だった業者テスト「三進連」が廃業になった。関係者は失業して、もしかしたらその家族は進学を諦めたり悲惨なことになっているかもしれない。教師の方たちはこれで「勝利」と満足なのだろう。

 塾生の子たちは、校内順位は分からない。業者テストも存在しない。このまま自分の受験校を決めなくてはならない。データが何もないまま本番に臨まなければならない。この状況に対して先生方の言い分は(生徒情報では)

「人生は受験がすべてではないんだよ」 

 という建前論だけだそうだ。もちろん、学力の高い優秀な生徒たちは現実を見つめているので、とっくに教師離れを起こしている。私の塾で過去問の正解率や私の意見を求めてくる。父は塾の支持者がいることで安心していた。

  アメリカの中学校が理想だとは思わない。しかし、日本の学校も相当にヒドイ。私のこういうウソを言わない姿勢は女性ウケが悪い。バツイチになってしまった。これは自業自得だが、子供たちには申し訳ないことをした。

「ごめんね」

 英語は英検1級、数学は京大二次7割、卒業生は京大医学部、阪大医学部、名大医学部、三重大医学部などに合格。そういう仕事をしながら、子供たちとできるだけ一緒にいてやろうと頑張ってみた。それでもダメなら自分でできることはもうなかった。

 念のために書いておきますが、威張りたいのではない。英検1級の受験会場では明らかに大学生らしい子もいた。20歳くらい。私は当時30歳だった。また、英文タイプの受験のため四日市の商工会館に行ったらセントヨゼフ女子高の生徒ばかりだった。実際、私が入って行ったら

「すみません。ちょっと照明が暗いのですけど」

 と言われたので、

「すみません。私も受験生です」

 と言ったら、その女子学生は

「エッ!?」

 と驚いていた。似たようなことは、センター試験の会場でも京都大学の受験場でも起こった。

「いい歳をして何をやってんだか」

そういう自覚をさせられることばかり。誇れる経験ではない。

 それもこれも、日本の学校がガチガチの硬い制度だからだ。日本の学校は嫌いだ。

第四十五章

「隠れ家

 私は才能に欠けている。だから、人の3倍はやらないと塾講師などできないと思ってきた。今は京都大学の英作文の添削を毎日大量にやらせてもらっている。北海道から九州まで通信生がいてくれる。

 京大受験生ほどになると、三単現のSや複数のSといった初歩的なミスはあまり見られない。問題は「ランナーが走っている」のような微妙なミスになってくる。違和感というヤツだ。

 だから、1回目のときはざっと読んで違和感のある場所に線を引いておく。すぐに違和感の理由が分かるものはよいが、なぜか説明ができないものは放置しておく。すると、2回目を読む頃に理由が分かる。人間の脳は考えていると無意識のうちに解答を探すらしい。

 そして、3回目でアドバイスを添えてメールにして送信しておく。この過程で一番重要なのは清書をしている時間だと思う人がいる。見た目、仕事してますから。しかし、私にとって一番大切な時間は1回目と2回目の間の買い物や運動や事務処理をしている時間。あるいは、寝転がってゴロゴロしている時間。

 これは、遊んでいるようにしか見えない時間だけれど一番ひらめきが起こりやすい時間でもある。モヤモヤしていたものが一気に晴れ渡るような感覚だ。これは、数学でも同じことだ。教材の開発や、ブログ、広報、なんでも同じことでアイディアが最重要。そのブラブラを邪魔する人がいる。

 それは、アホ無しで訪問してくる人、電話営業、近所の悪ガキの無断侵入などなど。ひらめきそうな時に、突然電話とか家の周囲に無断侵入して騒ぎ始める悪ガキは営業妨害で訴えたいくらいだ。

 しかし、私は無駄な時間とエネルギーを費やすのは嫌なので複数の「隠れ家」を持っている。誰にも邪魔をされない場所だ。そこでなら、誰にも邪魔をされずに思索に入れる。

 頭の中で考えていることは他人には理解されない。実は、そこが一番大切なのだけれど理解者は極少数。業者はもちろん、家族でも理解されない。1分1秒を大切にしてギリギリに自分を追い詰めて、そこから生まれるものがある。

 しかし、99%の人はそういう生活態度を「変」「厳しすぎ」「オタク」と受け取り理解しない。そこから生まれる発明品や理論の利益は享受して楽しむくせに、生み出す人は罵る。

 受験勉強をしていると、その雛形は中学生や高校生にも見られる。本当に優秀な子は教師を越えている。四日市高校を落ちた教師が、四日市高校受験生を指導し、英検2級の先生が、英検準1級の生徒を指導している。そういう分かりやすい例もあるが、それだけではない。

 本当に優秀な生徒は1分1秒を惜しんで勉強している。クラブや寝る時間さえ削ってギリギリの状態で勉強している子も多い。そんな生徒に

「クラブは強制だ」

 と言い、

「班を組んで分からない子に教えてやりなさい。助け合いは大切だ」

 と言う。これは、頑張っている子を教師の補助教師として使っているにすぎない。手抜きだ。寝る時間を削って、サボっている子の勉強を助けてやれ。ライバルの手助けをしろ。「敵に塩を送れ」と強要しているわけだ。

 頑張っている子ほど学校の教師への不信感は強い。だから、私の塾が彼らの「隠れ家」になる。ここなら、本音が言える。

「自分では絶対にできない量の宿題なんか出して」

「自分が受けたら落ちるくせに」

  私は学校が嫌いだけれど、教師が悪意でやっているとは思わない。ただ、左翼の先生方は頑張る子もサボる子もみんな同じ扱いを受けることを「平等」だと誤解されている人が多い。しかし、生徒はそれが愚かな妄想だと見抜いているのだ。

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