何時もの景色が虹色に見えたとき。離婚後会っていなかった子供たちと九年振りの再会。

 父が末期がんで死ぬ丁度二週間ほど前。僕は自分の弱さと自分の病気によって疲れ果て、父の最期の姿を見れる自信もなく、ただ息子と娘に連絡を取って、自分のエゴで元妻の実家に電話しました。


その日は、父が医療用麻薬を投与されながらも、たまに見せる普通の笑顔の日でした。その時に言いました。「孫に会いたい」と。


僕は九年間封印していた、怖くって電話できなかった元妻の実家に電話をかけました。


その日は雲一つない快晴でした。こんなになってる父を見て、僕は本当に全くと言っていいほど自信は無かったのだけれど(話すという行為自体)、電話しました。


すると電話口に出たのは少女のような幼い声でした。


僕は「○○?」と娘の名前を瞬時に言いました。


すると幼子は「はい」


と。


僕は言いました。大きな声でハッキリと幼子が答えたのです。その時に神様がそっと僕を押してくれた気がしました。


「お父さんだよ!」


と。そのあとは夢中になって話しました。ずっと電話しなかったことや、会いにいけなかったことを後悔してるよと。でも何時だって何時の日だって忘れたことは無く、愛しているよと伝えました。伝わったかどうかは判りませんでしたが、意志の強い芯の強い子だという印象を受けました。


これは元妻の遺伝かな?とか思い切り抱きしめてあげたかったのですが、何しろ、そこは電話の世界


それは適わない。でも息子の声も聞きたいと、娘に言いました。

「お兄ちゃんそばにいる?」
娘はしっかりした声で答えました。
「はい」

僕はごそごそと電話を渡してる風景が見えるようでした。


もうそこは興奮の極み。何故なら元妻に代わってしまう可能性も合ったのです。


そうなったら恐らく二度とチャンスは無かったと思います。しかし僕もルール違反です。協議離婚はしなかったものの、精神病と言う厄介な病気が発症しての離婚でしたから、無理もありません。


元妻や、元妻のご両親にも多大なご迷惑をかけ、ご心配もかけました。


僕の娘とは娘が生まれて半年の時に離婚していたので、勿論娘が僕のことを覚えていないのも無理はありません。だからすっごく娘も緊張していたと思います。当然です。もしかしたら、不審者に思っていたかもしれません。


そして息子とは三歳の時まで共に暮らし面倒も見て一緒に砂場に遊びに行ったり、川に連れてったり一緒に海に入ったり、お風呂に入ったり、水族館に行ったり、とにかく共に遊んだのです。共に育った三年間でした。娘とももう少し一緒に過ごせれば、思い出も残してあげられたのに、自分の病気が悔やまれます。


そして僕はもう覚えていないだろうと思って半ば緊張し、半ば期待し賭けに出たのです。


「もしもし、○○?」

「うん」

「お父さん。。。覚えてるか?」

「うん」

「お父さんの名前言えるか?」

「○○○○」

「そうだ。記憶はあるか?」

「うん」

その時の僕の心境は、もう悔いは無い。死んでも良いとさえ思ってしまうほどに、充実感に溢れ、嬉し涙を流していました。

「そうかそうか」

僕は空を見上げました。三月の中旬頃。とても陽が差していて明るい中庭での会話でした。まるで天使が降りてきてふわふわと空中を飛んでいるような、そんな感覚に襲われました。それは物凄く心地良く、限りの無い神様からのプレゼントを頂いた瞬間でした。

その後、怒った妻から数時間後に電話が来ました。

「○○君?ちょっと配慮が足りないんじゃない?貴方のお父さんが死にそうだからといっていきなり電話してきて、子供たちを会わせたいだなんて、貴方が九年間私たちに何かしてくれたの?自分の都合だけで電話してきて、子供達は興奮してるわ。どうしてくれるのよ?」

確かそんな電話でした。

「うん。ごめん」

それしか言えませんでした。確かに言われるとおりです。慰謝料も払っていない。養育費も払ってない。都合良過ぎるでしょう?と言われても仕方ありません。

「本当に、ごめん。でも許してくれ。父が死にそうなんだ。長くもって二、三週間。俺からの最後の願いだ。会いに来てくれ」

その後元妻は考えさせてと言い、電話を切りました。

翌日、電話が来て彼女は言いました。

「今日の四時だったら時間作れるから、行くわ」

「すまん。そしてありがとう」

その後一時間ほどして彼女と息子と娘が病室に現れました。

息子と娘は二人とも元妻の両手を握り、少しおっかなびっくりとしながら、僕の顔を見ていました。

息子は僕の昔にそっくりの顔をしていました。娘は元妻と似ており、少し離れて僕を見ました。まるでおとぎ話のような絵本の中にいるような、そんな瞬間でした。これは現実なのか?それとも夢なのか?

あれ程逢いたがっていた息子と娘が目の前にいるのに、抱きしめてやれない事が非常に悔しかったですが、以前は探偵を雇って、写真だけでも良いから撮って欲しいとまで考えていました。また望遠鏡なども用意して、通学路でずっと張っていようか?等も思っていたほどに、狂おしいほどの愛。その愛が目の前に居るのです。

でも素直に喜べないんです。何故なら父が死を迎える数週間前の話です。こちらだけ喜んでいる訳にはいかない理由もあったんです。

それから数分間だったのか恐らく五分くらいの間、ベッドの遠くから父の後姿を眺める息子と娘と元妻。それから一度も元妻とは会っていませんが、その後の初めての日曜日。


僕は看病に疲れ果て、家でちょっと休んで来ると言って、少しの間父の病院を離れました。


そこへ妹から一本の電話。

「お兄ちゃん。。。○○ちゃんが独りでお父さんに会いに来たよ?今すぐ来て!」

僕は何事か瞬時に理解が出来ませんでした。

「判った。すぐに行く。絶対に家に帰すな!!!!!!」

そう言って僕は急いで病院へ。

すると何と驚いたことか。

父親が笑ってる。それも満面の笑みで。まるで奇跡の瞬間が訪れて神様に会ったかのように嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑ってる。

「○○!!!!!!!」

息子が言いました。

「お父さん」

これからもっとすごい展開が待っているとは思いもよらず、ただただひたすらに神様に感謝していました。

僕は息子と父親の写真を撮り、それが父の生前の最期の写真になるとは思いもしなかったのですが、天使が迎えに来た瞬間のように、親父がニコニコと笑ってる姿が今も我が家にも従兄弟にも叔父や叔母にも配られました。

「これは親父の若い頃にもそっくりだ」と言って皆で葬式の後の飲み会で笑って眺めたのが、つい昨日のようです。

その後、一度息子は家出をして僕の実家に泣きながら来たのですが、宥めて送ってあげたのですが、実家では沢山の話をしました。

娘のこと

元妻のこと

元妻の実家のこと

学校での毎日、習い事のこと

実はピアノで九州で一位になってたこと、娘も九州で一位になってたこと。

驚きの連続でした。また空手を習ってることや、娘はダンスを習っていたり、習字を習ってること等も聞いてとっても楽しくお喋りが出来ました。

楽しいことをしていると時間は早く過ぎ去るもの。それもまた現実。

あっという間に夕方になり外も夕焼けが差してきた頃、妻の実家の義母から連絡があり、行ってないか?と尋ねられ、来ていることも告白し、一緒に元妻の実家まで行って、謝るから何の心配もいらないよと息子を安心させて、返す事にしました。


「良いか?○○?お前は俺の遺伝を引いてる唯一の男だ。あちらの家で全力で家族を守れ。そして母さんを悲しませないように。そして妹に優しくしてあげなさい」等と言い、返しました。


その後一度だけ息子と話す機会があり、喋ったんですが、元気一杯にやってるようで一安心。娘も元気。元妻も元気との事。義母も義父も元気でやってる。そう言った事が息子の誕生日にサッカーボールをプレゼントしたら、お返事の為に息子から着信があり、その息子からの伝言は未だに消してなく残っています。大した内容でもないのですが、絶対に消すことはないでしょう。


父が死んだ日から五ヶ月ほど経ったある日のこと。


義母から電話があり、息子と娘のピアノの発表会があるんだけど来ない?と誘っていただきました。

僕は何が嬉しかったって、義母から誘いがあるって事は、元妻も了解済みのことというサインだと思い。ようやく自分の人生のやり直しの機会がやってきた。そんな風な受け取り方をしました。


そうして緊張しながら、何を着ていこうか?どんな服が良いか?等色々と考えて、何時もはジーパンにTシャツが多いんですが、その日はチノパンに、襟付きのシャツと革靴で行きました。


行く時は雨がパラパラと降っていたんですが、着く頃には晴れ間も広がっていました。

どんな姿で息子と娘が登場するのだろう?

緊張しまくりです。

僕は精神に病を抱えており、普段は人目を避けるように生きています。

ですが、その会場は百人ほどいたような気がします。子供たちで溢れかえっています。可愛い子供たちがきゃっきゃきゃっきゃと遊んでる会場。

最初に娘が登場します。

彼女は目が悪いらしく、僕には気付きませんでしたが、録音装置をそっと回し、自分の心臓はバクついていて、聴こうにも聴けないほどの繊細な曲。良くわからないうちに終わってしまいました。まあ娘の姿が見れたのだから安心しました。

ピンクのワンピース。可愛い。最高。それがイメージでした。


そして最後の演奏者に我が息子が登場し、弾いた曲がリストの、ラ・カンパネラ。


もういきなり弾き始めたら一瞬にして会場のざわめきが止まりました。とてつもない才能を目の当たりにした僕は、神様から与えていただいた恩寵に改めて感謝しつつ、厳かな気持ちになりました。


演奏が終わり、会場中から拍手が鳴り止みませんでした。そして息子は僕を発見し終始ニコニコとして、「どうだった?」と声に出しては居ませんが聞いてきました。

「うん。凄かった。よく練習してきたね。頑張ったね!」

とこれまた、声には出しませんが、そう目で送りました。

ただそれだけのことなんですが、帰ろうとしていたら向こうの母親から「この後食事でもどう?」

と言われましたが、もう胸が一杯で仕事も残っていたので、帰らせていただきました。


そして帰り道。


空は快晴に変わっており、不思議なことに一度も信号に遮られる事無く家路へ着きました。


家に帰って、興奮した状態で母を呼び、一緒に息子と娘の曲聞かない?と言って音楽プレイヤーで曲を流しました。すると母が勢い良く泣き出してしまい、これを親父にも聞かせたかったとずっとずっと泣き止みませんでした。


これからの人生、息子と娘は、元妻とあちらのご両親に育まれた才能を生かしつつも、神様に感謝して生きていければそれで良い。ただそんな事を思いました。


神様は決して不公平ではない。色んな意味で生きている意味と意義を与えてくれる。


皆さんも不遇な人生になっていると感じていても、決して諦めないで!神様は平等に愛してくれています。人それぞれ悩みや寿命は違えど、意味をきちんと与えてくれています。


私は精神を侵されましたが決して諦めません。きちんと息子と娘の成人するまでの軌跡を見守って生きていく。それが第一目標。

そしてあとは神様にお任せして寿命を全うするまで生きていくことを諦めません。

苦難が大きければ大きいほど開放されてからの日々が素敵に思えますよ?皆さんも楽しんで生きていってください。どんなに辛くっても、明日起きて辛くっても、もしかしたら明後日は少しは良くなるかも?とか思いながら日々を生きていってください。


幸多き人生が皆様に与えられますように。


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