第六十二章 文系と理系

第六十二章

「文系と理系」

  2000年以上前に生きていたギリシャのピタゴラスの考えた定理を私たちは理解できる。論理的に考えることができる人なら分かる。サイエンスとはそういうものだ。しかし、ピタゴラスがどうして定理を見つけるに至ったかは誰にも分からない。彼の才能、生き方、当時の環境などは再現不可能だ。

  受験でも、どの問題集を使うか、誰の指導を受けるか、何時間くらい勉強をするのか。そういう計測可能で客観的なサイエンスの面は模倣が可能だ。しかし、同じ方法を使っても結果は変わってくる。なぜか。

  それは、人により才能も性格も置かれた環境も全く違うからだ。特に、成績アップのためには強い動機付けが大切なのだが、これはサイエンスではない。あえて言うなら、文学、哲学、心理学といった文系的発想が必要なのだ。

  私の指導させてもらっている優秀な生徒たちは、陸上で優秀な成績をおさめた子、バイオリンの大会で入賞した子など、文系でも優秀な才能を見せる子が多い。美的な感覚が優れている子は、数学の壮大な理論体系に美を見いだしやすいのだ。

 勉強のできない子の決まり文句

「こんなんやって、何の役に立つの!?」

 という勘違いには陥らない。美しいから引き付けられるのだ。その美しさを感じられない子には分からない。私は「教育学部」出身で、文系人間と呼ばれているが塾生の子たちは「数学の先生」と思っている子も多い。数学Ⅲを指導しているからだ。

  成績アップのためには強い動機付けが必要なので、勉強法に関してサイエンス以外の面を語ってみることもある。すると、成績上位の子たちは興味深く聞いている。

「どうして英検1級をめざし始めたのか」

「どうして京大を7回も受けたのか」

 ところが、勉強ができない子たちは「威張っている」としか受け取らない。人間が素直でもなければ、動機付けのような中身が大切ということが分からない。どの塾がとか、どの問題集がとか、外面的なことしか興味がない。理解できない。だから、勉強がいつまで経ってもできない。

  勉強を見栄や出世の道具にしか考えていない子は伸びない。英語や数学にロマンや美を感じられない子に成績アップの見込みはないが、サイエンスを教えることは出来ても生き方を教えるのは極めて難しい。

  理系の理論は普遍的だから、誰にも解説ができる。しかし、文系の理論は他人には解説ができない。文学の内容や心理学など普遍性がまるでない。自分の年齢が上がれば理解の深さも変わる。

  文系人間の最たるものが左翼。論理性のかけらもない。たとえば、中国の南シナ海の人工島が問題になっている。大規模な自然破壊だ。ところが、左翼は同じ社会主義の中国がどんな自然破壊を行っても沈黙する。

  ところが、ほんの少しでも沖縄で海を埋め立てて基地を作ろうとすると大規模なデモを連日行う。ひどいものだ。偽善の最たるものであって、普遍性のかけらもない。だから、多数の理解は得られない。論理性の欠けた人たちに理解力を期待しても仕方ないので、実力行使になってしまう。困ったものだ。

 

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