【労災を断念】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(5)

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前編: 脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(4)
後編: 【支えになった本】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(6)

※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4)

 入院から、もうすぐ1ヶ月。

 まだ脳が腫れているとのことで、父の脳の骨はまだ外れたままだったが、少しずつ変化が見られてきた。

・手を握ると、握り返すようになった。
 この反応には、わざわざ親戚一同が遠方から訪れ、みんなで大騒ぎした。

・左腕を曲げようとすると、突っ張るようになった

・顔の上でふっと息を吹きかけると、目を閉じるようなった。(眼球の偏りはなくなった)
 目の上で手をかざすと、目をとじるようになった。条件反射ができるようになった。

・口腔ケアをしようとすると、嫌がって口を閉じるようになった。

 要するに、条件反射ができるようになってきたのだ、



 少しだけ環境が落ち着いてから、考えたのは労災の申請だった。

 それなら治療費も出るし、休業補償ももらえる。

 最初は、職場で倒れたのだから、簡単にもらえるだろうと考えていた。

 しかし、脳出血で労災を認定してもらう為には、直近の残業時間を証明する必要があった。

 

 父はタイムカードを、きっちりと正規の時間帯で押していた。

 つまりタイムカードは、残業時間の証明にはならない。

 小さい塾なので父一人で仕事していることも多かった。

 残念ながらセキュリティ系のサービスも使っておらず、そのログで証明することもできない。



 父は週休1日で働いていたし、日曜日も、何かと理由を付けては補習をすることが多かった。

 朝出社して授業の準備や教材作成、採点、その他諸々の事務処理。

 夜は22時までみっちり授業をしてから帰宅。

 日帰りでは休みの日に色々釣れだしてくれた父だが、私の家族旅行の記憶は、お盆の帰省と、1泊2日で県内の海やら山に行ったのが、数回。

 新幹線に乗ったのは、小学校と中学校の修学旅行だけ。次に乗ったのは就職してから。

 飛行機に初めて乗ったのも、22歳で就職してから。

 同行してもらった先輩は驚きながらも丁寧にチケットの買い方や搭乗の手続きについて教えてくれた。

 とにかく、両親との旅行の思い出が、少なかった。



 就職して、お給料がもらえるようになってからは、何度か父を遠出に誘ったが、

「塾が忙しいから。そのうちな」

 と言って、断られてしまっていた。

 無理にでも連れ出すべきだったのだが、私は私で

「まぁ、まだまだ元気そうだし。そのうちいけるでしょ」

 と、軽く考えていた。

 とにかく、父はがむしゃらに働いていた。



 労災を申請するには、会社の証明が必要だ。

 しかし、社長は労災の証明をすることを、断固拒否した。

みんなの読んで良かった!