(6位)、第七十一章 英検1級に合格すると、世界はどう見えるのか?

第七十一章

「英検1級に合格すると、世界はどう見えるのか?」

  小さい頃に英語がペラペラの人を見たときに、不思議に思わなかったろうか。ワケのわからない記号の羅列を読めてしまう。ワケのわからない音声が、ちゃんと意味を持って聞こえているらしい。

「あの人の頭の中はどうなってんの?」

 と思った。その不思議を解明したかったが、英検1級に合格した頃に理解できるようになった。

 たとえば、2つの経験をお話ししたい。私がホームステイしていた時のこと。

「ダウンタウンに行くが、ついてくるか?」

 とホームステイ先のママが聞いてきたときのこと。

 私は

 Whichever is fine. (どっちでもいいよ)と言った。すると、いつもニコニコしていたママが急に険しい顔になって

「イエスかノーかどちらかに決めなければならない!」

 と言ったので、ビックリしたこと。

もう一つは、日本の帰還宣教師に

「本音と建前の建前って、英語でなんと言うのかな?」

 と尋ねたら、lie (嘘)と言ったこと。

 この二つは衝撃的だった。つまり、アメリカ人の立場から見ると日本人がよく言う

「どっちでもいいよ」

 というのは、自分の意見がないダメ人間の証拠であり、本音と建前を使い分ける日本人はウソつきに見えるということだ。その他にも、

「山は座、タンスは棹、ウサギは羽と数えるんだ」

 と言う言語学者の解説がバカバカしく聞こえるようになったこと。英語なら、onetwo three で済む。単位を付ける必要性など全くない。一言でいえば、日本文化を客観的に見られるようになったということだ。

「クラブと勉強の両立」

 と日本の教師は叫ぶが、それは極めて日本的な文化に基づく。私のいたアメリカの中学校は、クラブが存在しないので午後二時半になると校内は消灯で真っ暗だった。バランスのとれた人格形成にクラブは不可欠などとは、何の根拠もない洗脳だ。

  私は毎朝アメリカのABCニュースを聞いている。英語のDVDも字幕なしで楽しめる。英語の歌も同様だ。もはや、金髪のオネエチャンと友達になることに妄想を抱かない。リアルの等身大の外国人を知ったからだ。

  上記の言語学者のように、英語を語る日本の英語教師や英語講師の言うことも耳に入らない。日本人だって、

「あそこに山が三座ある」

 とか

「ここにタンスが二棹ある」

 なんて、もはや言わない。私は教師とか教授とかいった肩書きだけで、自分の主張を正当化しようとする人間が嫌いで、信用しない。

 英検1級に合格すると、こんな傲慢な視点が生まれる(笑)。

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