アスペルガー症候群の僕が社会に過剰適応した話8

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 困難だった就職活動

 適応に次ぐ適応を重ねることによって、大学生活において一定の楽しさを見出すことができたものの、以前として生きづらさはあまり解消されていませんでした。確かに、自分の価値を相対的に関係性が築きやすい他者の評価に依存することによって、それ以外の他者に対する二次障害(対人恐怖)を克服しようとする試みは一定の成果をもたらしました。二次障害(対人恐怖)と認知の歪みが相まって、相手の(本来は存在しない)悪意を感じ取ってしまったときに、適切に対処できないことからくる憤り、情けなさ、といったものからは、相対的に解消されていったと思います。しかし一方で、自分の本当の人格と、他者に提示する人格の乖離は一層大きくなり、本当の自分を理解してもらえない、という孤独感はあきらめにも似た境地に達することになります。また、あくまで特定の他者の評価を自らの価値のエビデンスとする方式は、これまでの適応手法にないくらい、一定の成果はもたらしたものの、依然として人と一般的な形で接するための「覚悟」が必要でした。というのは、自分の人格に本当の自信が存在するわけではないので、「メッキがはがれたらどうしよう」という感覚とは常に戦わなくてはいけなかったからです。その意味で空虚な適応だったと言えるかもしれません。


 それでも、一定の「普通な」大学生活を謳歌できているという感覚を持てたのは、自分にとっては大きな成果でした。しかし、それに満足していたことが、大学3年生の秋以降の就職活動においてまた別の困難を生むことになります。


 就職活動においては、まず数多ある企業の中で、自分が仕事を通じて実現したいビジョンに向かって邁進できそうな、自分に合った企業を選択する、というプロセスから始まり、企業分析を踏まえた上で、どのように自分が当該の企業に貢献し得るか、について自分なりの提案を提示していくという形でなされていくものと思います。しかし相当に視野が狭い僕は、当時そんなことは全く考えることができず、とにかく有名な、かつイメージのよい企業ばかりを受けるという意志決定を行いました。考えてみれば、当時の僕は、意図的に思考停止していたのです。つまり一般的な学生社会への過剰適応をするために、繊細な自分の思考を凍結させることによって、感じすぎないように、考えすぎないようにするが故に、本来必要な思考も意図的に停止させてしまっていたということです(当時は、それが正しいとすら思っていました)。あえて企業分析などもせず(当時は驚くべきことに、それをある種の豪快さ、とでも自己評価していました)、脆弱な適応だけをたよりに面接に臨みました。受けたのは外資コンサル、広告代理店、商社、大手メーカー、、といったところで、本当に深い考えは何もありませんでした。当然ですが適切な形で面接を突破することはできず、いわゆる人気企業は全滅となりました。


 とはいえ当時は売り手市場と言われており、様々な選択肢を検討すれば自分に合った企業を選び、適切に選考プロセスを突破して、というシナリオも可能だったと思います。ですが、視野が劇的に狭い割に、変なところで頑なな僕は、そのような現実的な選択肢をとらず、大学受験のときのように、再度就職活動を自分の納得できる形で突破しないといけない(≒その年に受けた人気企業に受からないといけない)と思い、いわゆる就職浪人をすることにしたのです。。


せみ太郎

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