【在宅復帰への道】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(8)

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前編: 【胃ろう】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(7)
後編: 【母の反発】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(9)

※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)


 年が明け、2015年になった。


 胃ろうをしたことで、父の全身にあった水ぶくれがみるみるうちになくなり、肌が綺麗になっていった。栄養を水分で入れていたので、水分過多だった、ということだろうか。

 また、嚥下訓練も順調に進んでいき、とろみのついたお茶を飲めるようになった。

 胃ろうにしてよかったと思った。


 私がやったのは、父が乗っていたバイクの売却、それから母の仕事探しだった。

 父が倒れてから2ヶ月経った。

 働いてお金を得ることで、少しは気分転換になるだろうし、老後のお金の心配も気持ち程度だが少なくなるだろう。

 ずっと父の仕事を手伝っていた母は、同年代の女性と知り合う機会も少なく、友達を作ってほしいというねらいもあった。

 母は59歳。実家のある町は工場地帯で、60歳以上も働ける求人も複数あったが、「この歳になって長い時間働くのはしんどい」ということで、シルバー人材センターで紹介してもらうことになった。

 どうやら、シルバー人材センターで得た報酬は、「給与」ではなく「雑所得」扱いになり、普通にアルバイトやパート勤めだと引かれる税金が引かれないということらしかった。(ただし確定申告が必要)

 残念ながら冬ということもあってか、母が希望する園芸関係の仕事はなかったが、ちょうど父が入院している病院でお皿洗いを募集しており、そこで働くことになった。


 次に病院で母に会った時、ノートに書かれたを手にぶつぶつつぶやいていたので、

「何してるの?」

 と聞いてみた。お皿の種類と、しまう棚の場所を覚えているとの返事がかえってきた。

 10年そこにいるリーダー格の70代の女性が、「こんな簡単なことも覚えられないのか」など結構厳しい口調で母を責め立てるそうだ。

 そりゃあ10年もいれば覚えられるだろうに……もっと和気あいあいとした雰囲気の職場かと思ったが……私は、母に就業を勧めたことを少し後悔した。

 しかし、中には優しい人もいるようで、母はせっせとお見舞いとお皿洗いに病院に通うようになった。


 それから、S病院に運良く空きが出来、移れるようになった。

 母の職場と父の入院する病院が同じだったことを思えば、もうしばらくいさせてほしいという気持ちもあったが、その病院の張り紙には、「入院6ヶ月以降は入院費に一日2,000円を加算する」という内容が書かれており、いつまでもいられなかった。

 

 

 土曜日に夫とふうと共に病院を訪れた。


 父の顔をみる。穏やかな顔だった。

 ふと、私は、父のたんがあまり出ていないことに気付いた。

 看護師さんに聞いてみると、ここ数日、たんが少なくなっているとのことだった。

 父は目を開けて、ぼんやりと天井を見つめている。

「お父さん」

 と声をかけると、目をじっと私の方に向けた。

「じいちゃん、起きてる~」

 と、ふう。

 父はふうの言葉が遅いことをかなり真剣に気にしていたようだが、父が倒れてから、少しずつ言葉が出るようになっていた。


 父の目を見て、ふと思った。


 もしかしたら、家に、帰れるんじゃないか? と。

 

 ずっと、家でみるのは無理だって思っていた。

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