【失敗と転倒の出張体験談 】1

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出張体験談を書こうと思ったのは自分の記憶に留めておくだけでなく、書き残すことで少しでも後から読み返して思い出せればと。
20年間携わった中古車輸出の出張体験。
自らの歴史です。笑ってやってください。
阪神大震災が起きる2週間くらい前(平成7年)から「中古車の輸出業」と言うあまり
聞きなれない職についた。初めの感覚では船に車を搬入していくステベの役割を担う仕事だと思い、車の運転技術が身に付けばいいなあ位の軽い感覚で入社した。

4ヶ月が過ぎ、仕事にも弱冠慣れてきた頃、当時どの業者もNZ(ニュージーランド)のお客様争奪戦を繰り広げているときに社長から 「ジャマイカとチリ行って営業してこい」と言われ海外留学の経験があるものの営業の経験などまるでない私に何が出来るのかという不安と海外出張に行ける喜びが一緒になった気持ちで「わかりました」と返事した。
ときは平成7年。まだWINDOWS95‘が出て間もない頃か、出てない頃である。海外の取引先の情報は既に取引しているところの情報を受けとるか、自らでもって営業まわりするしかなかった。
船会社、もしくは代理店からこっそり流してくれたB/L(貨物引き取り書類)のコピーを手に、「ジャマイカではこのお客、
チリではこいつが迎えに
来るから」と、    その書類だけ社長からを?手渡されて行くことになった。
ジャマイカでの営業は特に問題なく語らいだけで過ごしたような感じで2日間を過ごし、一旦マイアミに戻りLAN CHILE航空にてSANTIAGO-IQUIQUE(イキケ)へと向かった。途中、間違えて他の国内線のターミナルに入り、NULOと書かれたスタンプ をパスポートに押されたりしながらもどうにか目的地のイキケにたどり着くことが出来た。
イキケはアンデス山脈の麓の麓にある場所で非常にきつく冷たい吹き下ろしの風と全く遮るものが無く痛みを感じるくらいの熱い直射日光を放出しながら私を出迎えた。
飛行場で出迎えてくれたのは既に取引のある顧客カルロスと、ハム工場のオーナーであるフェリペ。
二人に迎えられ一路イキケ市内と車の陸揚げ場に向かった。
イキケは日本から来る他国向けの中古車のHUB PORTにもなっている中級規模の港町。
市内に入ればさほど風は感じなくなり、代わりに地元産業の魚を缶詰めにする際に漂う独特の臭みが私の鼻を苦しめていた。
軽く商談、早めの夕食、カルロスとフェリペの探している車をメモに取りながら
酒を飲み、ホテルに戻る。明日はイキケ
市内を観察、現地で販売している車の情報を取りながらどう商売の発展に結びつけるか。考えながら眠る。
この時は全くもって自らがボリビアに行ってトラブルに巻き込まれることになるなんて考えもしないし 、 
カルロス、というか南米のおおらかでテキトーな対応、大半のことはお金で片付けてしまう文化にまだ私はこの時気づけずにいた
今久しぶりに当時のパスポートを開いてみて押すところがなくなりページを増した部分や今よりも遥かに細く20キロ以上痩せていたこの頃を    見て懐かしんでいる。
あの時代だから有り得て、体験したこと。
書いていきます。
読んでくれてありがとう。


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