君の哀しみが癒せたなら...3


月光 1

一哉は鍵盤に指をのせるとふうっとため息をついた。

「全然やる気になんねぇ。。」

来週が本番だというのに、まだ思うように弾けないところがある。

ベートーベンの「月光」は一哉が今一番弾いてみたい曲だった。

先生に無理を言ってお願いしてやっとコンクールで弾けることになったのに

一哉はあっさりとスランプに陥った。

「やっぱりピアノは向いてないのかもな。」弱音が口をついて出る。

それでも本物のピアノで練習するのは楽しい。

上手く弾ければもっと楽しいのにな。。心でそんなことを思いながら弾き続ける。


「こいつ、すんげぇ上手いじゃん。」

「誰?あぁ石井かぁ」

「まじ?お前ピアノ習ってんの?似あわねぇ〜!。」

「弾けるぜってか?自慢したいんだろ。」

音楽室の前を通りかかったクラスメートがからかう。

「うっせーよ!」一哉はいらいらしてつい怒鳴ってしまう。

(これだから学校はキライなんだ。)心の中で毒づく。

誰もいない音楽室は思い切りピアノを鳴らして練習しやすかった。自慢する気持ちなんてなかった。

いや、少しはあるかも。


「ピアノ弾けるんだ!」

女子の声に驚いて振り返ると、嬉しそうに笑っているのは隣のクラスの上田美香だった。

美香は美人だ。女子にも男子に人気のある子で確かバドミントン部の部長もしているはず。

肩までの薄茶色の髪と睫毛の長い大きな瞳がきらきらしている。

目と目が合って、一哉はちょっとドキドキしてしまう。

しかしよく見れば今日は腕に包帯を巻いているではないか。

「ねえ、何か弾いて!」彼女が嬉々として言う。

そばにいた男子から「おおっ!」「リクエストがかかったぜ!」と野次が飛んだ。

一哉は彼らを無視した。

「どうしたの?その腕。。」訝しがる一哉に美香はぺろっと舌を出して言った。

「ちょっとね。。私のことはいいからさ。何か弾いてよ。」

「まあ、いいけど。。」あいまいに答えて一哉はピアノに向かった。


ひんやりとしたピアノのメロディが流れるとうるさかった男子は静かになり、

「つまんねーの。帰ろうぜ。」と、皆連れ立って音楽室を後にした。

一哉はピアノに集中し、美香は目を閉じてじっと音に聞き入っている。

「きれいなメロディだよね。月光でしょ?私好きだな。。」

美香は窓辺に立って外を見ると小さくつぶやいた。


部活を終えて帰る生徒が校庭を横切って歩いていくのが小さく見える。

そろそろ夕焼けも消える時間だ。


一哉が弾き終わると美香は「ありがとう」と言ってにっこり笑った。

「上手いね。いつから習ってるの?」

「小一から。さぼってばっかりだけどね」と、一哉は謙遜して答える。

「小一かぁ。6歳から?やっぱりねー。ほんとに上手いよ、石井くん。」

上手いと言われて悪い気はしないものだ。一哉はちょっと嬉しかった。

「上田さんはどうしたの?その腕」

気になってつい尋ねてしまう。

上田美香はちょっと首をかしげて困った顔になった。


「バドミントンで転んだ拍子にひねっちゃったの。これで大会は出られないの」

「え〜っ。大変じゃん。」

「なんだかね。今までがんばってきたんだけどね。。」

「そっか〜。そりゃぁ落ち込むよなあ」一哉は同情を込めて言う。


床に視線を落とした美香はちょっと間をおいてから言った。


「私全然くやしくなかったんだ。」美香の言葉は以外だった。

「え?」どう答えていいのか一哉はわからなかった。

美香は窓の外に視線を向けたままだ。

「自分でも変だと思う。バドミントンが好きだったから。。

くやしい〜って泣くのかと思ってたのに。。」

「泣かなかったんだ?」

「うん。」美香はちょっと笑いながら言う。「なんか、ほっとしてるの」

「そうか」とだけ一哉は答え、再び練習を始めた。

(なんだかわかる気がする)心の中で一哉は思う。

自分だって今コンクールに出られなくなったらほっとするのかもしれない。

でもほんとにそうだろうか?


「好きだと思い込んでたのかもしれない」そう、美香がぽつりと言う。


「バトミントンのこと?」一哉も答えた。


「うん。ほんとにね。ほんとに嫌いなんかじゃないの。私、これでも結構強いし(笑)

でもさ、なんか最近楽しくないのよね」

そうつぶやいた美香の視線は窓の向こうの夕日に向けられた。


あたりを包む紫色の光の中、西の空に明るい光を放つ一番星。


美香がつぶやいた。「今日も終わるね...」


黄昏れてゆく空にピアノの旋律がそれぞれの思いを乗せてどこまでも運んでいく。



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