第八十七章 悪いけど、つきあっていたら落ちてしまう。
第八十七章
「悪いけど、つきあっていたら落ちてしまう」
若い頃、
「なんで、ジジイはあんなに硬直してガンコなんだろう?」
と不思議に思うことがあった。しかし、自分がジジイに近づき徐々にその理由が分かってきた。最初に気づいたのは名古屋の大規模塾で受験指導をしている時のこと。中年おオバサン講師が
「あの上位クラスの指導は絶対にイヤ!」
と講師室で言っていたことだった。私にとってはトップクラスは指導しやすいのに、なんでだろうと思っていたら
「先生はあのCランク大卒なんですか?」
と突っ込まれたそう。自分の子供の年くらいの生徒にバカにされたことが許せない気持ちだったらしい。私は
「女は感情的だから困ったもんだ」
と思っていた。しかし、自分が親になって子供を持ってみると気持ちが少し分かった。子供を育てる時は、白紙の赤ちゃんから育てるわけだから圧倒的に自分の方が経験値が上なのだ。
それに慣れてしまうと、いつの間にか子供が自分を追い越していくことが残念というか悲哀というか淋しい思いをすることがある。大げさに言うと自分の人生の大きな役割を終えた感がある。
そんな後輩に追い抜かれただけでなく上から目線で
「私の方があなたより上だ」
みたいな扱いを受けるのはプライドが許さないのだろう。
プライドには実力で裏付けられたプライドと、中身が空っぽの空威張りがある。前者は尊重すべきだろうけど、後者はバカにされても仕方ない。オバサン講師の場合、後者だった。
こういう場合は、中身を充実させてプライドを維持するか、その場から逃げ出すか、二者選択になる。オバサンは逃げ出す方を選んだわけだ。オジサンの場合は、頑固オヤジに変貌して怒鳴りつけるわけだ。
私は中身を充実させる道を選んだために、高校生に混じってセンター試験や京大の二次試験を受けるハメになった。私はそういうことに無頓着だから気にしないが、変な目で見られたことは間違いない。
でも、空っぽのプライドで空威張りしたり怒鳴るような頑固オヤジにはなりたくなかった。今もなりたくない。私の指導させてもらっている才能豊かな生徒は、私が10年かけて身につけたことを3年でマスターしていく。私はそういう頑張り屋さんが好きで、嫌う理由がない。
その一方で、勉強嫌いの子もいる。先日も
「先生、減点から(0,8)までの距離は何ですか?」
という質問があった。質問の意図が分からないので、
「その図を見たら分かるでしょ?」
と答えたら
「マス目がありません」
と言う。意味が分からないので、詳しく聞くと
学校ではマス目のある座標軸を使用している。
習っていない問題はやる必要がない。
この2点が主張の論点だと分かった。分かったが受け入れるわけにはいかない。相変わらず中学校は、底辺の子にスポットを当てて授業をし、問題を提供している。最悪だ。
もはや、学校はマジメな生徒が学習するには、無益な場所になってしまった。
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