高木教育センターのありふれた日々(9)

3 / 5 ページ

 そういう子にとって、私は基本的事項も理解していない哀れな講師なのだ。そういう時は学校の先生のように

「その答は○○だ」

 と結論だけを言う。それで満足あのだから仕方ない。本当は考えて、解答にたどり着くまでの過程が大切なのだが、学校の先生に洗脳されていると手のつけようがないのだ。

 私は最初、こういうダメな生徒は虚勢を張っているだけだと思っていた。しかし、違った。本気で自分は賢いと思っている。だから、私のような先生はバカにして教科書準拠の問題をやらせて褒めてくれる塾に移っていく。

  塾の中にはそういう生徒のことをよく分かっていて、適当におだてて月謝を集金することだけを考えるところも多い。需要と供給が一致しているわけだ。しかし、そういう子は絶対に難関校には合格できない。

 難関校に合格できる子は、客観的な目で自分を評価できる。公立中学校なら上位の3%くらいには入れるが、上位が無数と言えるほどいる。だから、たとえ問題が解けても

「もっとうまい方法はないか」

 と常に改善を模索している。だから、私がアドバイスすると

「この人は自分より上だ」

 とすぐ理解して、私の言葉に何が隠されているのか探ろうとする。だから、合格する。世の中には自分では理解できないほど賢い人がいる。簡単に人を見下さず、何かを学ぼうとしないと永久に上のステップに上がれない。

  ところが、こういう人としての生き方は教えるのが不可能だ。幼稚園、小学校で勉強は先生から答を聞いて丸つけすることだと教えられてしまうと取り返しがつかない。どこかで、そういう指導がおかしいと気づけないようでは見込みはないのだが。

第八十五章

「黒歴史」

 ノイローゼで入院という結末だと言えば、私の高校時代がどれほどの黒歴史なのか分かってもらえるかもしれない。しかし、その黒歴史がなければ英語や数学にこれほどこだわることはなかった。

 だから、結果的には

「あれでよかったのかも」

 と思っている。もちろん、二度とあのような生活はごめんだ。人に強制されることにトラウマがある。しかし、それもアメリカ生活を通して

「私が正常で、周囲が異常なんだ」

 と悟った。

絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。byイルカ・チェース

・大失敗するものだけが大成功を収める。byロバート・ケネディ

  受験指導をさせてもらっていると、8割ほどの生徒は失敗をおそれてチャレンジをしない。

「どこでもいいから、合格できそうなところを受ける」

 と言う。1割ほどの生徒はチャレンジをして、失敗して、トラウマを抱えたまま大人になっていく。そして、1割ほどはチャレンジをして合格しようが、失敗しようが努力を継続していく。

  私は中学生で英検1級を持っている子を指導させてもらったことがある。私が1級に合格したのは30歳だ。京都大学の医学部に合格した子を指導させてもらった時は、私が10年かけて身につけた数学レベルに3年で追いついた。

  私の指導させてもらっている生徒の中には、私よりはるかに才能に恵まれた子が多い。それは、四日市高校にいる時も、名古屋大学にいる時も、痛感させられたことだ。

  しかし、私は歩みを止めるつもりはなかった。大学院の試験に口答試験で落とされ、学者の道を諦めた。通訳ガイドの国家試験に合格して通訳をしようとして、諦めた。見方によると、挫折だらけの人生だ。

 それが、今になっては

「これでよかったのかも」

 と思っている。私は才能に欠けるので、才能のある人の3倍の努力をしないと追いつかなかった。新幹線と鈍行くらいの違いがある。ところが、受験指導の場では鈍行できた人生がプラスに働くことが分かった。どこでつまづくのかよく分かるのだ。

  学者や、俳優や、通訳や、いろいろチャレンジして挫折してきたために、平均的な講師より経験値が高い。英語と数学の両方を身につける努力をしてきたために、生徒の方の要望により広く応えることができる。

  トラブル、挫折、失敗の真っ只中にある時は、絶望感にとらわれるのが当たり前だ。しかし、トンネルは掘り続けたら、いつかは貫通する。そう信じられるか、否か。それだけの違いだ。

 タフで、時には傲慢で、鈍感か無神経くらいでちょうどいい。変だと言われ、誹謗中傷を受けるのは当然くらいに思っていた方がいい。攻撃されても気にせずスルーできるくらいの図太さも必要だ。それでいいのだ。

  なぜなら、失敗で歩みを止めた人たちは他人も引きずり落とそうとする。塾講師でも、自分が出た大学より上のランクの大学を受ける生徒に嫉妬するちっちゃい講師が多い。自分では指導しかねる高学力の生徒の存在が許せない哀れな講師もいる。

  結局、誰が何を叫ぼうと書こうと、いつの世も大多数の人は怠け者でチャレンジをする人は少数派だということ。そして、その怠け者を避けるために挑戦者は耳をふさいでしまい変人扱いを受けること。これは変わりないようだ。

 誰でも黒歴史を抱えているが、それをネガティブに変えるか、ポジティブに変えるかは本人次第なのだ。

  東大や京大は、今年から「変人」を受け入れる入試制度を始めるようだ。

東京大で「学部別募集」、京都大では「飛び入学」も

いよいよ、あの東京大学が「推薦入試」を、京都大学が「特色入試」を新たに実施する。将来の大学入試のあり方を先取りする方向転換だ。日本の大学の“頂点”が導入する「一般入試で測れない能力を丁寧に評価する」入試とは?その中身や特徴を見ていこう。

※この記事は『螢雪時代・2015年8月号』の特集より転載。(一部、webでの掲載にあたり、加筆・変更を施した)


将来の大学入試のあり方を先取りする“新エリート選抜”

2016年度から、東京大では一般入試の後期日程を募集停止して「推薦入試」を、京都大では「特色入試」を全学部で導入する。その概要を、東京大は表2、京都大は表3に掲載したので、参考にしてほしい。
 東京大はセンター試験(以下、セ試)を課す推薦入試で統一。一方、京都大は学部・学科によりAO入試・推薦入試・後期日程と異なる。しかし、高校での活動・成果や入学後の適性を、書類審査や長時間の選考などで、丁寧に評価する選抜を目指す方向性は共通している。
 募集枠こそ東京大が100人、京都大が約110人で定員の3~4%程度と少ないが、両大学とも、少なくとも新制大学移行後は、通常の受験生に対し一般入試のみで選抜してきたため、大きな方向転換といえる。そして、この2つの入試の重要さは、将来の大学入試のあり方を“先取り”している点にある。
 2019~20年から、大学入試のしくみは大きく変わる予定だ。高校教育と大学教育の連続性(高大接続)を重視し、セ試に代わる「1点刻み」でない共通テスト「高等学校基礎学力テスト」「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)の導入や、一般・推薦・AOの区分の廃止、多面的・総合的な評価を重視した選抜、英語における外部検定利用の促進など、大幅な入試改革の提言が、昨年末に中央教育審議会からなされている。
 東京大・京都大の新方式は、「高大接続」を重視し、世界的な大学間の競争が激化する中、主体的、能動的に学ぶ突出した才能の獲得を目指す点で、こうした変革の先行事例といえるのだ。

第八十六章

「発情期のオス」

 前にも書いたことがあるが、当塾の理系女子は世の中の恋愛至上主義のような流れを嫌う。たとえば、歌謡曲のラブソングの割合はどれくらいなのだろう。9割くらいの印象。発情期のオスか。

  頭の良い理系女子は

「恋愛なんて遺伝子が子孫を残せとささやいているだけ」

 とか

「自分よりバカな男子など視界から消えろ」

 と言っている。自分が上位1%以内の子が多いから、逆に言うと99%の男子は失格ということだ。確かに受験指導をしていると気づくことがある。それは、頭が悪い子ほどセックスやファッションの話ばかりしたがること。

  そういう男子や女子を見る賢い理系女子は

「あいつらは性欲と自己顕示欲のかたまり。人間といえない」

 と見下している。私は、どちらかというと彼女たちに同調する立場だ。学生時代は、恋愛至上主義をバカにすると

「モテないから」

 と一蹴されるので黙っていたが、おじさんになりバツイチになって女嫌いになったので何を言われても構わない。こども達も成人したので遠慮せずに話せるようになった。

「ラブソングが9割なんて、発情した人ばかりなのか?」

 たぶん、私の指導させてもらっている四日市高校や桑名高校の上位にいる優秀な理系女子にこの質問をしたら、

「イエス」

 と言う。

「高校生くらいの男子は9割がバカで、性欲のかたまり」

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者のキョウダイ セブンさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。