第九十三章 おしゃべり<微積分
第九十三章
「おしゃべり<微積分」
友達とおしゃべりするのは楽しい。微積分の計算をしているのも楽しい。比較できるものではない。ただ、どうしても一方しか取れないのなら微積分の計算を取る子もいるだろう。おしゃべりを取る子もいるだろう。
大人になっても、知り合いと飲みに行くか英語の論文を読むかの選択に迫られたら、飲みに行く人もいれば、英文を読むことを選ぶ人もいるだろう。
私は微積分や英文を読むことを選ぶ人間だが、優劣をつけるつもりはない。ただ、よく
「どうすれば英語が身につきますか」
とか、
「どうすれば数学ができるようになりますか」
と質問を受ける。例によって、参考書や勉強方法の話になりがちだが、本当はそうではないのだ。
人間の才能、好み、置かれた環境、生き甲斐などは千差万別だから類型とかタイプなど軽がると決められない。しかし、統計的に言うと勉強ができる子、特に理系で優れて才能を見せる子は人間関係より数字を重んじる。
ひがんでいる子が「オタク」と呼ぶ類型だ。おしゃべりや飲み会が好きな人たちは数学や理科の勉強に向いていないことが多い。「愛」「絆」「チームワーク」が苦手で、「しょせん、他人依存でしょ」と思う子だ。
人間の社会は様々なタイプの人間が必要だから、それでいいのだが、受験勉強に限って言うと
「友達の必要性がわからない」
と言うタイプが強いことは明らかだ。おしゃべりやスポーツに打ち込んでいたら勉強時間がなくなる。他人に手を貸すことばかりやっていたら勉強する時間がなくなる。
「目の前の一人に手を貸すより、研究者になって何万人の人を救う」
と考える子がいる。そういう子は「冷たい」と言われることが多いが、「温かい」子より結果的に多くの人を救うこともある。そして、私はそういう子を育てるのが得意で使命だと考えている。
目の前の一人に手を貸す人も必要だし、研究室にこもって何万人を救う人も必要なのだ。優劣はつけられない。つまり、どちらを批判する必要もない。塾講師も、落ちこぼれを救うのが得意な講師もいれば、浮きこぼれを助けるのが得意な講師もいるわけだ。
ただ、両立は極めて難しい。特別な才能のある子以外は不可能だ。地元中学校では「クラブと勉強の両立だ」と言うが、実態は勉強放棄となっている。おしゃべりが好きというのは、受験の場では私語が多いダメ生徒と呼ばれるだけだ。
ここで誤解が生じることが多い。私は、塾講師として書いている。人としては書いていない。成績を上げるため。合格するため。その目標を達成するための方法であって、人としての生き方など書いていない。
別に誹謗中傷をされても構わないが、めんどうくさいから。
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