愛は国境を貫く・・・NYで花開く私のグローバル恋物語(その1)。

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後編: 愛は国境を貫く・・・NYで花開く私のグローバル恋物語(その2)。

「バカ真面目で頭が固い」私と、サルサが好きなNY生まれの彼女がつづった、lovelyなストーリーです。


彼女の名前は、Jacky(ジャッキー)。コネチカット州立大学を優秀な成績で卒業し、メキシコへ留学して、スペイン語がネイティブレベルで話せる女性だった。メキシコの陽気な雰囲気があり、サルサを踊ったら、メキシコ出身の男性達が群がるくらいに、サルサが上手かった。


Jackyとは、アメリカのMBAコースで知り合った。彼女は、マーケティング専攻だった。自分で起業してレストランを経営したくて、レストランで働きながら、卒論の材料を集めていた。


私は、2学期目から、off-campusのアパートに引っ越した。もっと静かに勉強したかった。日本人としては、静かな環境で、じっくりと時間をかけて集中したいと思う。なにせ、アメリカ人は、どこでも長話をする。それには、閉口することもしばしばあった。だから、経費をあまりかけられない私が、一大決心をして、引っ越して来たのだ。


その隣りにいたのが、Jackyだった。妹のIrene(アイリーン)と同居していた。Jackyは、アメリカ英語の発音がきれいで、お手本になるほどの正しい英語を話していた。Non-nativeの私には、英語の勉強には、うってつけの相手だった。


「もし良かったら、英語を教えてもらえないかな?間違ったら、直して欲しいんだけれど・・・」

「ええ、いいわよ。その代り、私に日本語を教えてね。あなたの日本語の指導は、キャンパスで大評判だから。」


アメリカにやって来て、最初の学期でルームメートになったTim(ティム)への日本語指導は、大当たりだった。日本で英語の家庭教師をやっていたこと、国文学が好きで国語の成績が良かったことが幸いした。日本語を英語で教えることが、かえって英語力を増す結果になった。


そして、いつしかキャンパスでは、日本語を選択しているアメリカ人の間では、私の指導が評判になっていた。


「たった10週間で、基本会話が出来るようになる日本語会話教師」


これが、私の肩書きになった。Timは、一学期の日本語コースは、すべて「A」を取った。そして、私の評判が教官に伝わり、日本語コースのダイアローグを作成するお手伝いをすることになった。日本語の教官も、日本人でありながら随分と日本を離れている。だから、今の日本を知らないのだ。


日本の今を知らない日本人が、日本の今を知りたいアメリカ人に、日本語を教えている。


なんか面白い構図だと思いませんか?


Jackyは、2学期目から日本語コースを取り始めた。私が特訓することになった。そして、私はスペイン語を取ることになった。英語でスペイン語を習うなんて、日本では考えもしなかったことだ。


毎日、毎日、お互いの言語を教え合った。


そして、私も彼女も、親しくなるのに、それほどの時間がかからなかった。


ある土曜の晩、Jackyがアルバイトから帰って来た。エプロン姿で、私の部屋に来た。エプロンのポケットには、たくさんのチップが入っていた。メキシコの雰囲気を漂わせる彼女の陽気さが、お客を楽しませ、その代わりのチップであふれていた。歩く度に、「ジャラジャラジャラ」と音を立てていた。


ふたりでテレビを見終わると、彼女を送って行こうと私が言った。でも、その日の彼女はちょっと違ってた。何かもじもじしていた。


私の部屋のドアを開けて、出ようとした途端、


彼女は、私の顔に飛び込んで来た。


そして、思い切りキスをした・・・


私は、あっけにとられた・・・しかしながら、


これ幸いとばかりに、彼女を押し倒した。


「アメリカまで来て、MBAとなる特訓をしている。インターナショナルMBAなら、どんな境遇でも、チャンスをものにしなければならない!今がチャンスだ!」


あとは、アメリカ映画に出て来るような結果になった。


「Tommy、今日はキスだけと思っていたのよ・・・」

「ええっ、そうなの。」

「それなのに、あなたって・・・私達ってもう、Now we're more than friends.

We crossed the border. ねえ、分かる?」

「なんだい、"the border"って?」

「ばかね、あなたったら・・・一線を越えたってことよ。」


翌日から、お互いに手をつないで、キャンパスを歩くことになった。それを見たクラスメートの日本人留学生の1人が、声を掛けて来た。


「西條さん、どうしたら、アメリカ人の女性と付き合えるんですか?」

「それは、日本人の女性と同じだよ。」

「どうやって、声をかけるのですか?」

「簡単だよ、『ボクに英語を教えてもらえませんか?』って言えばいいんだよ。」

「でも、ボクは西條さんみたいに、自信がないから・・・」

「それなら、日本人の女性留学生に声を掛けたら、どう?」

「だって、ボクがどう見られているか、不安だし・・・」

「それなら、うんと勉強だけして、日本に帰ればいい。優秀な日本人MBAサラリーマンとして、まわりの女性から見られるから。そしたら、もうウハウハになるよ。」


日本人留学生は、とにかく真面目だと思う。必死で勉強している。


私は、天皇陛下をお守りする「近衛兵(このえへい)」を先祖に持つ家系に生まれた。しつけが厳しく、今でも実家に帰ると、まず茶の間へ行き、正座しながら親に向かって、挨拶をする。


「ただいま戻りました。2、3日お世話になります。」


そして、三つ指をつきながら、お辞儀をする。それから、神棚に向かって手を合わせ、


「無事に実家に戻って参りました。家族を守って頂いてありがとうございます。2、3日やっかいになります。お世話になります。」


また、上京する日は、同じように、


「お世話になりました。お父さんも、お母さんも、お元気で。」


それから、神棚に向かって手を合わせて、


「お世話になりました。これから東京に戻ります。家族をよろしく頼みます。」


それが、西條家の家訓となっている。


そんな家に生まれた私が、アメリカの経営大学院に行くと言ったから、大騒動になった。近所では、半年の語学留学経験者が一人いて、それだけで「事件」だったのに、


「大学院になんか行って、大学の先生様にでもなるつもりか!?

「青い目の嫁は、絶対にいかんぞ!」

「お前は、敵国の学校へ行くのか!」


親戚中が集まって、とんでもない状態になっていた。


こんな状態の中で、家族全員を説得して来た。半年の時間がかかっていた。


そんな私に、家族や親戚の心配が的中した出来事が起こったのだ。そして、Jackyの写真を送った母がこう言った。


「やっぱりね、智ちゃんのお相手は、ガイジンか・・・」


女学校を卒業した母は、ハイカラでナウい感じの女性だった。母は、いつも私の応援団長だった。母が私の背中を押してくれた。家族中の強い反対の中で、母だけが味方してくれた。


「そこまでして行きたいなら、私が応援するから・・・」


それがあって、私のアメリカ留学は実現したのだ。その母も、Jackyを日本へ連れて行って紹介した時、喜んでくれた。家族として受けれてくれた。その母も、すでに他界した。


Jackyは、私より1学期早く卒業した。卒業式の日に、NYからご両親が来ていた。私が紹介された時、ご両親に取って、初めて声を交わす「日本人」だった。私は、その時に投資銀行に就職が決まっていた。お母さんが、こう言った。


「Tomoは、優秀なのね。うちの娘が、良くあなたの話をしています。遠い日本から来て、よく頑張ったわね。」


それから、お父さんとハグをした。


私はその時、Jackyと結婚をしようと考えていた。ご両親は、反対しなかった。当人同士の問題だからだ。あとで大学院の女性教官に聞いたことだが、「とても珍しいケース」だと言っていた。アメリカ人も、やはりアメリカ人と結婚するのが、普通なのだ。それも、アジアの人との結婚は、難しいと言っていた。


全てが、順調のように流れて行った。私の結婚も、秒読み段階だと、自分の中でそう思っていた。アメリカのMBA、NYの投資銀行勤務、もうそれで結婚の条件は十分だと思っていた。


しかしながら、結婚ってそんなに簡単に出来ないことを思い知らされることになる。


ある日、Jackyがシリアスな顔で、私に言った。

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