モデルで食べて行く気はない?と猫目の女性カメラマンに声をかけられ、ヌードの写真集を出して、10,000部も売れてしまい、新宿二丁目でヒーローになってしまった話③
そんな訳であれよあれよと渋谷、新宿、代官山、南青山、六本木、池袋、または河口湖にある、とある撮影所等でずっと毎日のように撮影三昧。
はっきり言って、美月と知り合わなければ、俺はマトモに今頃、普通の会社員をやっていただろう。それが出来なくなったのも、全てあの猫目のせいだ!
多分だがね。俺が貧乏じゃなく、金持ちだったら何ら困らなかったはずだ。それがブルジョアに混じって、ブルジョアを紹介されて、時にはブルジョアに、ねこねこ?俺と一緒に海外でレストランやらないか?とかいってくれた人もいたり、謎の有名人の長男坊からポルシェを勝手に乗ってても良いぞとか、赤坂プリンスホテルのレストランを借り切ってパーティーをしたりそんな生活をしてしまった為に、俺の価値観はどんどん普通から遠のいていった。
故に今の生活が酷く退屈で、あの三年間で、やりたい事は全て終わったと言っても過言ではない。
今の年齢はもう42歳であるが、息子にも娘にも恵まれたが、価値観の違いや意見の相違や、俺のフシダラな考えが元妻を傷付けてしまって、今は子供たちは元妻が育てている。
この猫目の話は元妻にも話していない。初めての暴露話である。
俺は精神的に不安定になってしまい、尋常じゃない行動をこの後取る事になるのであるが、その話はまた別の機会にしよう。
そうして全ての撮影が終わって、かなり良い写真集が出来た。自分でも持っていたら、楽しいんだろうが、いかんせん裸の写真集だ。
子供たちにも誇れやしない(涙)。
この写真集の発売の日。記念にと新宿二丁目のゲイバーに美月は俺を連れてった。
俺は新宿二丁目の存在を知らなかったし、どういう町か知らなかったウブな青年であった。裸にはなったが、女性が読むもんだと思っていたのだ。
だが、女性層も買ったようだが、半分は男性が買っていた(笑)。
そうして発売日に、二丁目を歩いていたらサインくださいと、モジモジしながら、いい大人たちが来るわ来るわで、まるで今のアイドル扱いをされてしまった(笑)。
アイドル気分になる訳もなく、俺は恥ずかしくって堪らなかった。
が、しかし、3500円も出して買ってくれた男性達の為に、にゃんにゃんと書いてあげた。男性達は狂喜乱舞状態。それ以降二丁目でにゃんにゃんは一世を風靡し、また、新宿に限らず、渋谷でも何故か有名人になっていた。よくサインを求められた。
こうして二丁目ヒーローになったは良いが、学業の方は三年間放置していた為、単位が足らずに自然と自主退学でもしようかなって思うようになった。
そして俺はねこねこと言う存在を東京から九州という地に運ばれていく事になるのだが、それはまた別のお話。
皆さん。くれぐれも猫目の美人にはお気を付けください。やられますよ?人生そのものを(笑)。
まあ、今は結構幸せにやってるので、結果オーライですがね(笑)。
カタリエ 開催中