僕が「オモロ」を愛している理由
みなさんは面白いことが好きですか?
きっとほとんどの方が好きでしょう。何に求めるかは個人次第ですが、面白いことを追求するのが人生の一つの使命だと言えるかもしれません。
そして僕も面白いことを愛する一人です。誰よりも好きな自信があります。それは単純なフィーリングではなく、ちょっとした理由があるのです。
僕の両親は高校二年の冬に離婚し、母親が家を出て行きました。突然の出来事でした。今でもはっきりとその時のことを覚えています。
僕はその時期、高校の学期末試験の最中で勉強に追われていました。試験が終わって開放感に満ち溢れたまま自宅のドアを開けた瞬間、母に呼び出されてそのことを告げられました。
驚くほど落ち着いていた記憶があります。人間とはそういうもんなんでしょうか。
僕の母はその頃軽いうつ病を患っていたのですが、父がそのフォローをしきれず、どんどんとすれ違いが生まれていたことが原因だったようです。
とてもショックを受けました。
ただそれは、離婚した事実でもなく、家庭の亀裂に気づけなかったことでもなく、それを告げられて最初に僕が放った言葉が、「俺、大学ちゃんといけるの?」だったことでした。
この期に及んで自分を心配する、そんな自分の根性にショックを受けたのです。
その日から自己嫌悪に陥り、今までの自分では考えられないほど塞ぎこむ日々を送るようになりました。
ただ、「悲しみをガラスケースに入れて飾って同情を買おうとするのはダサいからしない」というポリシーがあったために(でもこのストーリーを書くことはそれに矛盾してるかもしれない)、あまり高校の友だちには見せないように明るく振舞っていました。
しかしこれはほんとうの意味では全く乗り越えられていない、取り繕った自分の姿であることは誰が読んでもわかることだと思います。
では僕はどうやってこのショックから乗り越えることができたのか。
それは、「オモロ」に浸ることでした。
きっかけは、この出来事を告白した仲のいい友達に、自分のことを「リアルマザーファッカー」と呼ばせるというおふざけをやり始めたことでした。
その友達は爆笑しながらそう呼んでくれて、なぜかわからないけどすごく楽になりました。(その友達には本当に感謝しています)
その日から僕はとにかく自分が笑えて人も笑える、様々なジャンルのモノを漁り始めました。
そして、無事ナイーブでダサい感情から解き放たれ、元気に大学生活を送っている今に至るのです。
その過程では本当に大切なものをいくつも得ることができたのですが、僕が一番の収穫であったと感じているのは、面白いものには「funとinteresting」の二種類があるということに気づけたことです。(しょぼいけど自分の中では革命的だった!いつかこれについても書きたい)
これを、「愚かな逃避だ。しっかりと向き合え」と反論してくる方もいらっしゃるかもしれません。でも、本当に無理をしてでも全てに向き合うことが正しいのでしょうか。僕はそうは思いません。ロジックで解決できない理不尽なことが平気で人生では起こるからです。そんなときに自分が面白いと思うものに逃げてみるのも、いろいろ得るものがあるのでは?と僕は言いたいのです。
みなさんも辛い出来事が絶対にこれから襲ってくることと思います。そんな時、何かに逃げたくなったなら、泣き寝入りなんてせずに、面白いことにイヤというほど浸ってみたらどうでしょう。
僕も初心に帰る意味で、明日は全裸で大学に行こうと思います。なぜなら僕は、「オモロ」を愛しているからです。
著者の加藤 賢太さんに人生相談を申込む
著者の加藤 賢太さんにメッセージを送る
メッセージを送る
著者の方だけが読めます