第百三章 ハイパー・スーパー・ウルトラ塾講師
第百三章
「ハイパー・スーパー・ウルトラ塾講師」
私は「男はつらいよ!」のファンだ。49巻すべて見た。DVDも持っている。寅さんはバカだけど、憎めない人だ。善良だからだろう。私は塾講師という仕事柄、
「勉強できない人をバカにしている」
と思われがちだ。どう思われても構わないが、数学や英語ができたら人間が上等などとは考えていない。ただし、寅さんもそうだが近くにあんな人間がいたら迷惑だと思う。
「極限って、分母がゼロなら・・・」
「アッ、そうか!」
だいたい、こんな感じで授業が進むことが多い。ところが、たまに
「分母がゼロなら、なんで分子がゼロなんですか?」
「だって、確定値があるじゃない」
「なんで、確定値があると分母がゼロなら分子もゼロなんですか」
「それは、教科書に書いてあるから覚えておこう」
「それで、計算はどうするんですか?」
「だから、そのxを分子に代入したらゼロになるということで」
「どうして、ゼロになるのですか」
「だから、分母がゼロになるから」(これで話が最初にもどる)
こんな話を2周、3周させられたら普通の子を指導する2倍も3倍も疲れる。でも、同じ月謝だからコストパフォーマンスが酷いことになる。体力も精神力も磨り減るわりに、点数が上がらず合格実績に貢献もしてもらえない。
なんで、こんなことになるかというと家庭学習がなっていない。真面目に授業を聞いていない。予習も復習もしない。宿題さえ、まともにしない。これでは、誰が何を説明しても身につくはずがない。
ところが、こういう子に限って
「最低でも桑高に合格したい」
と言う。その理由を聞くと
「賢くみられたいもん」
というプライドの問題らしい。私はプライドを持つことは良いことだと思う。ただし、本物なら。努力せずにカッコよく思われたいというのは、1万円のものを5円で買おうとするも同然。通る話ではない。
大学受験で言えば、英単語は6000語、数学は2000題は解かないとAランクの大学に合格はできない。それを1000語や500題くらいで東大や京大に合格させろと言うに等しい。できるわけがない。
いろいろ批判があっても、学歴で就職が決まるのは
「難関大に合格したということは裏づけのあるプライドの持ち主だ」
と判断するわけだ。裏づけのない、スカスカのプライドでは難関大に合格できないことは誰にも分かる。私は英検1級に合格し、京大二次試験の数学は7割正解だったが、そのレベルに到達するまでに何をやったかは別のエッセイに書いておいた。
学歴や資格は、そこに至るまでの計画性や実行力を示しているわけだ。
「何を威張りくさってんのや!」
というタイプの誹謗中傷は多いのだけれど、スカスカの人の言うことは誰も耳を貸さない。上に書いた生徒の質問を聞けば
「この子は、家で全く勉強していない」
と、すぐ分かる。誹謗中傷の言葉を読めば、
「この人の知性はカラカラだ」
と、すぐ分かる。そんな生徒や人を相手にしても、何も生まれない。昔だったら
「顔を洗って、出直して来い!」
と追い返される。ところが、今は民主主義の緩い世の中になり、生徒もふんぞり返って
「オレを分からせてみいや!」
と叫ぶ。アホすぎて悲しいくらいだ。言うまでもないが、私はこういう生徒や大人を相手にしない。絶対に学力が身につかないから、時間とエネルギーの無題なのだ。
寅さんのように、弁えて
「自分は勉強以外のもので食っていく」
と覚悟してもらえたらいいが、
「絶対に四日市高校に入りたい」
と言われたら困ってしまう。ムリだから。合格する子は、予習、復習、宿題はもちろんだけど、それ以外にも
「クラブより、生徒会より、デートより、趣味より、何より勉強優先」
という態度で、2年も3年も準備してくるのだ。そんなライバル相手に、
「オレを分からせてみいや」
では、話にならない。
私は塾講師を始めた頃、
「英語がスラスラ話せる講師だったら、生徒も助かるだろうなぁ」
とか
「質問されたらどんな難問でもすぐに答えられたらカッコイイのになぁ」
と夢想した。つまり、そんなことが出来ると思えなかったから。大学を出たての頃には夢だったのだが、今ではあの頃の夢が実現している自分がいる。これは、実に驚きなのだ。
「生徒の家庭学習中の質問に答えられたら一番いいのだけどなぁ」
と夢想していたのが10年前。今では、写メとメールで実現している。本当に驚きだ。私の事務所は、少年時代に見ていた「ウルトラマン」の科学特捜隊の基地のようではないか。
コンピューターがあって、スキャナーがあって、コピーがあって、プリンターがある。日本中から添削依頼や通塾生から中学生は5科目、高校生は英語と数学の質問がくる。
それを、モニターを見ながら解答を作成してスキャンしたものをメールに添付して返信しておく。その内容は、小学生の頃にはチンプンカンプンだった数式やら英語の文章やら。
「鉄腕アトム」に出てくるお茶の水博士や天馬博士になったような気分だ(笑)。四日市高校時代にあこがれていた理系女子を指導している自分が信じられない感じが今も続いている。
指導する生徒の10名以上が「京都大学」を受験するレベルだなんて、私はスーパー塾講師なのか?ハイパー塾講師なのか?
スーパー (super-) の代わりに使った場合は、スーパーよりも程度がはなはだしいことを意味する。この場合、日本語ではスーパーを「超」、ハイパーを「極超」と訳す。たとえば、スーパーソニック (supersonic) = 超音速に対し、ハイパーソニック (hypersonic) = 極超音速はマッハ約5以上の高速を意味する。
たぶん、これは私の勘違いだろう。私が10年以上かけて学んだことを優秀な理系女子は3年でマスターしていく。才能がまるで違う。しかし、たとえ才能がなくても努力でカバーして彼女たちを指導できる今の自分が嬉しい。
努力してきて、よかった。
50代のおじさんが高校生に混じって京都大学を受けるなんて馬鹿げている気もしたが、やってきてよかった。自分の無力さを認識しつつ、それなりの学力があるので指導も絶妙の線を維持できるのだと思っている。
奢る理由はないけど、卑下する理由もないから。
数学の問題が解けず、冷や汗が出て、神経衰弱から入院騒ぎを起こした現役時代が夢のようだ。トラウマを脱出できて嬉しい。トラウマがあったからこそ、私は生徒に優しく接することができるのだろうな。
でも、素行不良のギャルや暴走族、あるいは予習や復習をしない子はお断り。
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