第百四章 古典的集客術
第百四章
「古典的集客術」
橋下さんがタレントから政治家に転身したときに、世間は
「また、タレント候補か」
と冷ややかな目で見たはず。しかし、アットいう間に「維新」は一大政治勢力になった。彼の手法は有名だが、敵を作って耳目を集めて自分の主張を世間に伝える。実は、この手法は古典的だ。
織田信長はなぜ安土城をつくったのか。天下の耳目を集めて自分の権力を誇示するためだ。とにかく、天下の耳目を集めないと何も始まらない。それは、今も同じことだ。
彼は、批判が集まると
「しめしめ。うまくいった」
くらいにしか思っていないはず。本当の志は心に秘めておけばいい。とりあえず、一歩を踏み出す必要がある。
私が塾を始める時、
「塾を始めます」
と言っても誰も気にしない。生徒が集まってくれるわけがなかった。それで、私は当時としては珍しいコンピューターを使って成績表を作り、上位者の名前を張り出した。すると、
「競争をあおるな!」
とか、
「えこひいきだ」
と批判が集まった。私も
「しめしめ」
と思った。ブログを始める時もそうだ。書き始めても誰も見てもらえない。当たり前のことだ。何十万もあるブログの中から探し出してもらうことさえ難しい。正直に書き続けたら誹謗中傷が始まった。
私は内心
「しめしめ」
と嬉しかった。誹謗中傷がくるということは、それだけ人の心に触れているわけだ。その証拠に、支持者も増えてアメブロ「受験生」ランキングの1位になれた。Toutube の再生回数が合計で38万回を越えた。
もちろん、これで満足しているわけではない。しかし、一歩踏み出したわけだ。本当の志は、二歩目、三歩目が始まってから徐々に実現できたらいい。この世は、したたかでないと生き残れない。
自分の敵も利用して知名度をあげる。それくらいの心構えは零細企業の社長でも持っている。問題は、政治家でも、塾経営者でも、
「何がやりたいのか」
が大切。志が多くの人の役に立つのなら必ず支持者が現れるものだ。
「なんだ!この野郎!」
と嫌われてナンボなのだ(笑)。
民主主義の根源は
「みんなが違っている」
ところから始まる。自由と平等。どんな生活がしたいか。何が好きなのか。それはバラバラだから、勝手にできる自由。どんな意見も平等。
でも、本当にそうか。理系女子はそう思っていない。数学では絶対的真理がある。法則とか定理と言われるものだ。その絶対的真理が理解できない人がいることに呆れるわけだ。
絶対的真理は身につける価値がある。だから、毎日継続的に勉強する。その大切な時間をダラダラと過ごす人を見ると
「バカじゃない」
と思い近づかないわけだ。ここには自由も平等もない。数学の法則は議論の余地のない「正解」だからだ。だから、彼女たちの論理は明快で「賢い」と「バカ」の二分法となる。
そのために
「変なヤツ」
と批判を受けがちだ。橋下さんは弁護士だから、司法試験に合格している。司法試験のような資格試験や、受験では「合格」が良いことで、「不合格」が悪いことで、こういう世界では自由も平等もない。
合格したいのなら遊ぶ自由もクラブをする自由さえ制限される。平等もない。合格するヤツがえらい。落ちるヤツはダメなのだ。これはどの世界でも通用するルールだ。勝負の世界だからだ。
勝負の世界で、自由と平等を叫んでも意味はない。だから、ここを突けば騒ぎになり耳目を集めることが可能だ。集客術のイロハだ。
しかし、以下のような人が多い。
その集客術が知らないか理解できない。
知識と理解はできるが誹謗中傷に耐えられない。
だから、利用できる人は限られる。
本当は、こんな方法はよろしくない。時にはヒートアップして争いを生むからだ。大阪の状況を見れば分かる。しかし、人間は騒動や競争がないと進歩がないようだ。
戦争はダメだが、ルールのある競争は必要らしい。
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