精神病と呼ばれて。また精神病の自分が結婚した事について。①

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後編: 精神病と呼ばれて。また精神病の自分が結婚した事について。②

 俺はもう、自分は精神病なんだから、一般人の方と交わる事は無いと思って過ごしていた。


声を掛けられても、普通に対応できたのは、演技をした事があるから。ただ単にそれに過ぎない。


俺は、交わりあいを持ちたくないが故に、田舎に引っ越す事になり、暇で仕方が無い日々が半年ほどあった。


父は俺に南向きの市街地を見下ろす形となる最高の部屋を用意してくれた。


ただ、俺の心には何も響かなくなっていた。感動や、喜び、そういったプラスの発想がどうしても生まれてこない。それは仕方が無い。プラスの要素が無いんだから。


俺の中にはただ虚無感だけが残り、希望も明るさも何も無かった。そうして半年が過ぎた頃、父がフランチャイズのお店をやるから、一緒にやろう!と言って来た。


俺はそれもどうでも良かった。働く事に何の興味も無くなっていたし、経済学を専攻していたが、全く経済に興味は無かった。政治にもニュースにも国際社会にも全く興味がなくなっていた。


好きだった英会話も辞めた。


好きだと思っていた友人たちとの交わりも無くなってしまい、昔に付き合っていた親友達の顔も忘れ去っていかなければならないと思っていた。


とことんまでネガティブな発想になっていた。


そうしてフランチャイズの看板屋をやることになったんだが、それも地獄の日々。


やった事もない飛び込み営業を兄と二人でやって、売れないね、とボソッと呟くのが精一杯だった。


兄もとんだ迷惑だっただろう。何せ親父と同じ会社にいたもんで、縁故で入社した兄は、当時一店舗を任される店長になっていたのに、親父が俺に合わせて会社を退職したものだから、必然的に会社を辞めざるを得なかった。


そんな兄だが文句一つ言わないで俺の保護に回ってくれた。


俺は営業は嫌だったので、看板作りに専念した。営業マンは他の人に頼む事になった。


その営業マンがとって来た仕事を俺がやるといった感じだった。あんまりにも古い記憶なので、思い出せないが、兄貴と親父はあの時何をしていたのかな?不思議と俺と、その営業マンが取ってきた仕事の看板を俺がひたすら作るといった感じだったと思う。


もう面倒くさかったけど、食っていくためには仕方が無かったので、頑張ってみた。ほぼ毎日徹夜のような感じだった。と思う。


そうして看板を作って二個目の看板が出来上がって、父と二人で看板を取り付けに行った時に、少しテンションが上がり、また精神病院に入れられた。


またか位にしか思ってなかった。


二度目の入院の時に痴女というものに初めて遭遇した(笑)。その方は北海道からわざわざ九州の病院まで来ていたが、看護士をやっていて急にパニック障害を起こして入院したとの事。出会ったその日の内に、僕の個室にやってきて、いきなり上半身裸になり、「触っても良いわよ?」と言って来た。


俺は怖くなって「看護婦さん、誰か居ますか~~~~~?と大声を出した。」夜中だったので声は病棟に鳴り響いた(笑)


その人はあっという間に、保護室送りになった。アーメン(笑)

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