中国大陸で知ったことは、自分が何も失いたくないと思うときには、好きな人と結婚は出来ないということ。後半
ある日、決定的な事件が起こった。彼のお父さんが脳卒中で倒れて、突然亡くなった。まだ50代だった。Skype電話で聞いて血の気がサーッと引いた。
彼はこらえきれず涙を流しているのがSkypeから伝わってくる。
私は電話口で凍った。
彼が私を責めているわけではないのは、よくわかる。
それに、私と付き合っていると言ったってわずか1,2ヶ月のことだ。
自分がいなくたって、孫までどう考えても間に合わない。
私は、彼に言った。
もうお互いに何も言わないけれども、これが別れの瞬間だってどちらもわかった。
その2ヶ月後、彼はお見合いをした。1回のお見合いで結婚があっさりと決まった。
私は、仕事でまた中国にやってきた。
ということで、彼の会社のみんなと一緒に山に登ることになった。
なんという山かすっかり忘れてしまったけれども、岩がボコボコした高尾山みたいな山だった。初心者でも登れるように、道はしっかりと舗装されていた。履き慣れた運動靴で十分だった。
てっぺんにウィグル族が作るラーメン屋があった。うどんみたいに麺が太く、普通のラーメンの4倍ぐらいの長さがある。途中で歯でちぎらないとのどがつまる。そこの牛肉麺を食べていた時、彼は私に話しかけた。
彼以外は日本語を話せない。だから、私と彼だけの会話は、みんながいても出来てしまうのだ。
見事に麺がのどに詰まった。
この国は、これから大きく発展する。何よりも日本のような男女差別はこの国にはない。実力があれば、男女関係なく出世できるのが、俺達の国だ。
話がかなり壮大になっている。彼は日本に留学経験もあるから日本のことをよく知っていた。日本は、子育てや家事は全部母がやることになっているから女性の負担が大きすぎると考えていた。
本気で言っているようだった。
私は、そんな突然の話にただびっくりして呆然としていた。
そして、心の整理をつけるようにゆっくり話した。
と、彼はめちゃくちゃ笑っていた。
そして、その半年後に私は現在の夫、ひよこさんと出会うことになる。
その1年後、結婚問題に真正面から取り組むために、結婚相談所をスタートさせる。
一方、中国で彼には、可愛い子どもが2人出来た。
改めて思うことがある。出会いというのは本当に博打に似ていると思うのは、どれだけ捧げられるかを試されていることだ。
私は、結局大阪で根付きつつあった結婚相談所を東京に移動してでも、ひよこさんとの結婚を選んだ。中国よりも近いというのもあるかもしれない。
しかし、この人と生きていくならば、自由なんてなくてもいい、一緒に人生を助けあって支えあって生きていけたらそれでいいと自然に思えてしまったのだ。
自分が何も失いたくないと思っている間は好きな人とは結婚が出来ない。
2度めの結婚を通して一番知った真実だった。
著者の大西 明美さんに人生相談を申込む
著者の大西 明美さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます