1km走って足がつっていた僕が、東海道53次を走ったら、ゴビマラソン250kmまで完走して世界一になった話。

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足首を上下する筋肉やスジ、足首が痛かった。


今思えば、筋肉を既に使い切ってストロークエンドに達し、

既に関節で歩いてダメージを蓄積していたということになる。

当時はそんなこと知る由もなかったけれど。


ビバークではランでの参加者とも出会えた。

藤井さんや伊賀さん、森光さんや吉村さん。そしてトップのよっしー。


みんなロストしたとか話していたけど、その中でも森光さんは60km走った

けどロストのせいでリタイヤしたんだと笑って話していたことに驚愕。


(1日60km走る??そ、そんなことできるのか?

 しかも笑って流してるし!器が大きいなぁ!)


今までの自分の知ってる限界とは別次元に生きてる人が

そこにはたくさんいた。


小さな世界の無意味な思い込みが、だんだんと晴れていく感じがした。


そしてそのまま二日目。


いくらか回復しているものの、痛みは残っていた。


それでも順調に歩き進め、遊行寺の坂を下り、藤沢宿を過ぎ、

辻堂、茅ヶ崎と地元の見知った道を歩いていった。


だけど暑い!


足の裏も燃えるように熱くて痛くなっていった。


平塚エイドについた時には、かなりくたびれていて、

(もう一人じゃ歩けない。仲間の力を借りよう。)

長居して後続を待っていた。



そこに登場したのが山さん。


練習会から一緒に参加していた仲間だったので心強かった。


足の裏が痛いながらもなんとか出発。


痛いと思いながら歩き続けた。

まめができたと話したら、山さんが絆創膏を分けてくれた。

助かった。


大磯を過ぎ、二宮を過ぎ、ひたすら歩き続ける。

歩道を歩いてるけど、斜めになっている箇所はまっすぐ歩けなくなっていた。

足首で自分の体重を支える力も残ってなかった。


お地蔵様があるちょっとした場所で大の字になって休憩した。

そこへよっしーがちょうど通りかかり、おしゃべりした。

トップを走る実力者のよっしーでも二日目は辛いようだった。


なんとか国府津のBCPまでたどり着いた。

足首は曲がらないし、体重も支えられない。

だいぶ苦しくなっていた。


そこから残り6kmだった。


なんとか足を引きずって歩き続けた。


(残り6kmと思うから辛いんだ。もう38kmも歩いてきたじゃないか。)

でもそう考えても辛かった。


(辛い顔するから苦しくなるんだ。

笑顔になれば気持ちも痛みも前向きになるはず!)

無理やり口角を上げて笑顔を作ってみた。

でも、痛いし、苦しかった。


(あとは、あとは、どうすれば、どうすればいいんだ・・・)


考え方?笑顔?ばかじゃないか?

ちゃんちゃらおかしい。

肉体も精神も使い切った。もう何も残ってない。


足が痛い。


苦しい。


やめたい。


どうにもならず涙が出てきた。


酒匂川の橋を超えたところで、山さんに休憩を申し出た。



(もう、ダメだ。。。)




僕は歩道に大の字になって天を仰いだ。

泣き顔は見られないように帽子で隠しながら。


ここまで来たのに、もう一歩も歩けない。


あと3kmなのに、もう進めない。


ここまで来たのに、リタイアなのか。。


緊張の糸も切れて、諦めの涙が頬を伝っていったその時に。


「どれ、見せてみな。」


同じ距離を一緒に歩いてきた山さんが

僕の足をマッサージし、ストレッチしてくれた。


自分だって極限の状態であろうにも関わらず。


「あ・・ありがとうぅぅ。。」

涙声になりながら、ただただ感謝した。


足の痛みが取れたわけじゃないけれど。

その心の震えが、何か体を動かすエネルギーの源泉と繋がった。


再び立ち上がり、ゴールを目指して歩き始めた。


まともには歩けなかった。

ゴールまでは行けないかもしれない。

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