一緒に生きるって、どういうこと?

録画しておいたドラマ

『永遠のゼロ』。

結局、2話目までしか見なかった。


向井理さん演じる宮部久蔵さんがどんな人だったのかを

探っていく、という手法はよかった。

原作通りなのかな。


はじめは、「臆病者」というワードしか出てこない。

でも辿っていくうちに、違う面が出てくる。

こういう作りはおもしろい。


人が認識されるって、こういうものだと思うから。

人は、自分の知覚や自分の信念でしか、人を認識できない。


誰かと空間と時間を共有したつもりでいても

実は共有なんてしていなかったりする。



心が通じ合わなかったら、

どんなに一緒にいても

それはけっこうむなしいものなんだよね。


自分がまったく自分とはちがって認識されている。

ということは、

自分がそこに生きていないことと

同じなんじゃないだろうか。


鹿として生きているのに、

「その角は、象牙のようにりっぱじゃない」

としか認識されていなかったら

鹿の自分がそこに生きている、とはいえない。


鹿の持つ脚、

躍動する体、

雄々しい角、

そういうものをまったく認識されなかったら

一緒に生きている、とはいえない。


心が通じ合う人がいる。

素のよさをわかり合う人がいる。

それが、たぶん、一緒に生きる、ということなのだろうな。


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