父のこと ~命日に捧ぐ

あなたは父親のこと、好きですか?

私は嫌いでした


小学生の頃とか、同じ車に乗るのも

どこか一緒に行くのも、とってもイヤで


でも断る勇気もなくって

数年に1回くらい

うだるような暑さの中、てくてく見たくもない野球を見に行ったり

肌寒い川辺で、食べることさえ見ることさえ嫌いな魚を釣りにいったり

(今は食べられます)


思い出すのは、その2個くらいかも(笑)


とにかく、父が嫌だったのです


毎日、晩酌は当然

時には朝から浴びるようにお酒を飲む人でした


日曜日は、父は朝から自分の趣味である野球関係の集まりに行っておりました

家族旅行は記憶にある限り、帰省を除けば1回です


でも、私はそれでよかった


だって、場所が変わるだけだから

会話もない、シーンとした殺伐とした空気が変わるとき

それは父が酔ってきたサインでありました


母と口げんかが始まるのです

母も男勝りな人なので、口汚い罵り合いがはじまります


そんな毎日の中で私は育ちました

私は一人っ子でしたので、違う部屋へ避難しておりました


私の心の友達や家族は漫画の中の世界でしたが

ある日ヒステリーを起こした母親に、そのすべて捨てられました

その日以来、読むことも、書くことも、諦めました



さて、父の話に戻りましょう

毎日あれだけ飲む人なので、当然肝臓が壊れました


アルコール性肝硬変という病名で

10年ほど入退院を繰り返しておりました


私が結婚から出戻ったある日のこと

つい最近まで、また入院していた父が


「飲むか」


と、赤いワインを私に注ぎはじめました

ボージョレーヌーボーでした


よくよく見ると、減っているのですね

「天使のわけまえ」では決してありません


その次のお正月

父親が発作を起こしまして、私は死期を悟りました


もう二度と、この家には帰らないんだな、と


その入院は案外と楽しいものだったようで

看護士さんと笑いながら喋っている父の姿がありました

母親は、文句をいいながらパチンコ屋帰りに、必ず病院へ寄っておりました


その入院から半年過ぎた頃から

危篤です、と時々電話が来るようになりました


私は危篤詐欺と呼んでいたのですが

病室に入ると、ピンピンした父親が笑って寝ているのですね


10回くらいでしょうか、危篤詐欺に、あったのは

ある寒い冬の日

久しぶりに心ときめくデートを約束していたある日


夕方、病院から電話がかかってきました


10回も詐欺にあっていると、一応病院にはいくのですが、心構えが「普通」になってくるものでしたが、その日は違いました


胸騒ぎ、虫の知らせというのでしょうか


行かなくては

と、すぐに思ったのです


それこそ電車の中さえ走る勢いで駆けつけますと

そこには、いかにも危篤状態というのを絵に書いたようなシーン


バフバフという酸素マスクの音と

無機質な心電図の電子音が、部屋中に響いておりました


危篤状態が二日ほど続きまして

まろやかな暖かい冬の日差しが、カーテンの向こう側にクリーム色に輝いている正午

静寂が、揺れました


空気が動いたのです


父が呼んでいる・・・


と、少し離れたソファに座っていたのですが

そこからベッド脇へ移動しますと

目を細めながら、酸素マスク越しに父が一言


「ありがとう」


それだけ、言ったのです

その20分後、父は息を引き取りました


私は父が嫌いでした


でも、ずるいよね

ありがとうって、それで全部チャラになっちゃうんだから


私、わかってしまったんです


思いを口に出すのが苦手で

恥ずかしがりやで

お祭りや楽しいことが大好きで

頼まれたら断れない


そして本当は

笑って食卓を、家族みんなで囲みたかったんだよね


今朝、私のまわりの空気が揺れました


何かの予感をしています


人の思いが発する重力を

あの、まろやかな正午を・・・

みんなの読んで良かった!

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