第百十八章 少林寺拳法ができると、何が違ってみえるか?
第百十八章
「少林寺拳法ができると、何が違ってみえるか?」
私はたかだか少林寺拳法二段で、さほど強くはない。七帝戦で、京大の副主将に一本負けした苦い経験がある。でも、ジャッキー・チェンと一緒にTV出演した楽しい思い出もある。アメリカの中学校で何度もデモンストレーションをした懐かしさもある。
あれこれ40年も自主的に練習してきた。ヌンチャクや棒もある程度は使える。すると、何がどう変わって見えてくるのか。最初は
「暴力を怖れずにすむくらいには、なりたい」
と練習を始めたが、そう思え始めたのは26歳頃だった。つまり、練習を始めて5年くらい経過してから。猪突猛進ではなく
「勝てる」
と思える状況でないと格闘など始めるべきではないが、平和な日本では実戦など日常生活ではありえない。大学時代の稽古でも、グロープや防具をつけての試合だけだった。
私は頭脳戦に興味があり、肉弾戦などバカのやることだと考えているので余計に実戦の経験値が蓄積しない。この世界、「筋肉脳」と揶揄される単細胞かつ粗暴な人が多い。
私は英語や数学の受験指導の世界に住んでいるので、筋肉脳や粗暴な人は苦手だ。
私が大声や恫喝に動じなくなってきたのは、体力的に衰え始めた40代の頃からだろうか。
「弱い犬ほど、よく吼える」
という意味が実感をともなって理解できたからだ。また、病気で身体が動かない時に、元気な頃の自分の身体の動きを思いだすと
「確実にやられる」
と思った。つまり、普段から自分のように身体を鍛えていない人の動きが予想できるようになり
「負けるわけがない」
という気がしてきたからだ。突きや蹴りを日常的に練習している私と、そういう訓練を受けていない人が格闘したら負けるわけがないのだ。
ただし、若い人、格闘技はやっていなくても、身長や体重がある人、他のスポーツで鍛えて身体能力の高い人には勝てるか分からない。
だから、ケンカなど基本的にやらない方がいいのだ。勝っても、負けてもただではすまない。
私はベストコンディションでいたいので、酒、タバコ、ギャンブル、女遊びなどは一切やらない。いつ格闘が始めっても大丈夫なように準備だけはしておく拳法家の心得だけは、ずっと守っている。
また、困難な事態が起こっても諦めないで戦う姿勢を育んでくれた気もする。
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