高木教育センターのありふれた日々(14)

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聖書2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。 15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。 17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

 James 2:14-26New Living Translation (NLT)Faith without Good Deeds Is Dead

14 What good is it, dear brothers and sisters, if you sayyou have faith but don’t show it by your actions? Can that kind of faith saveanyone? 15 Suppose you see a brother or sister who has no foodor clothing, 16 and you say, “Good-bye and have a good day;stay warm and eat well”—but then you don’t give that person any food orclothing. What good does that do?

17 So you see, faith by itself isn’t enough. Unless itproduces good deeds, it is dead and useless.

 生徒の方はよく

「私は精一杯やりました!」

  と、言う。

も、よく聞くと

「宿題を精一杯やりました」

  という意味だと分かって愕然とする。そんなことを精一杯やったと言わない。誰でもやっていることだから。

  Someof my students say

“I did my best.”

  Then I ask what theydid.  They say they did homework.  It doesn’t mean you did your best becauseeverybody does it.

私は高校時代、クラブを諦め「食べて、寝て、風呂に入る」以外は全て勉強に当てた。その結果、受験日の5日まえに神経衰弱で倒れて入院騒ぎを起こした。とても人に勧めたり、威張れることではない。しかし、精一杯やるという一例にはなる。

  Istudied except when I eat, sleep and take a bath.  It sent me to a hospital.  Ridiculous I know.  However it is one case you did your best.

 

「自分はやる気があるんだ」

 という生徒がいても、行いが伴わなければ何にもならない。「体験型の真実」というのは、限界まで行動に移した人にしか理解できない真実なのだ。

 It is easy to say I did my best.  But is it really your best?  Maybe not. Do you know your limit?

 

  A子ちゃんは、母親が生命保険を解約してまで自分の学費を捻出しようとしてくれたことで

「どんな手を使ってでも必ず合格して期待に応える」

 と頑張った。火事場の場の馬鹿力というやつだろう。私はそういう「精一杯やった」子をたくさん見てきた。

  When A knew that her mother canceled her insurance plan to prepare forher tuition fee, what she did surprised me. I say she did her best. 

 

「クラブを楽しみ、好きな子と会話を楽しみ、生徒会活動を頑張り、文化祭や体育祭を一生懸命やり、残りの時間で精一杯勉強しました。バランスが大切だと教わりましたから」

 

 “My teacher said it was important for us to study, playtennis, work for students’ body and do other things.”

 

  私は、こんな他人の作り上げた「理想の学生像」をなぞっているだけの子で、難関高校や難関大学に合格した子を知らない。

   Idon’t think the students who just obey what teachers said can pass the entranceexams to good schools.

 

第百三十七章

「2つのトルゥース」(4)

 

  ここに39通の「不合格通知」と「合格通知」がある。英語の資格試験を受けていた頃の記念品だ。センター試験の10枚の受験票と、7枚の京大二次試験の受験票も記念にとってある。

  私の場合、英語の資格試験は20歳で決意して、英検1級に合格する30歳までの10年間のことだ。その間に、大学を卒業し、社会人となり、結婚し、子供が生まれた。

  状況が激変した。経済的に苦境に陥ったり、仕事が忙しくて勉強する時間がなくなったり、

「中学生を指導するのに1級は要らない」

  とも思った。

 

“求めよ、さらば与えられん”

 

 この“求めよ”は、そういう意味だ。1回や2回試験に落ちたから諦めましたでは、求めたことにならない。こんなことは、私が書くまでもないことだ。腕の良い料理人であれ、数学の権威であれ、私など足元にも及ばない時間とエネルギーをかけてその道を極める努力をされている。

  エネルギー保存の法則をご存知だと思う。臨界点までエネルギーを注ぎ続けたらドアが開くのは真理である。これは、信念であり、サイエンスの真理でもある。信じるに足る。

  できるだけ多くの人に夢を実現してもらいたいものだ。私など文才もないし、小さな行為のために説得力は身近な生徒の子だけしか無理。でも、聖書もあれば、ナポレオン・ヒルの成功哲学もある。

  希望はある。

 

  学歴がないなら、「-賞」なんて山ほどある。オーディションもある。遅すぎることなどない。私は50代で高校生と一緒に京大を7回受けました。何の賞もないなら、ブログや動画で発表して直接読者や視聴者に訴えればいい。

 

  信長や竜馬の時代に学校はなかった。アメリカにはクラブ活動の制度などなかった。成績上位の子は、受験科目以外は捨てて内職をする子が多い。

  あなたを取り囲んでいる制度、常識を疑うべき。そんな評価はどうでもいい。馬鹿げたアイディアでかまわない。勇気を持ってチャレンジしてください。信念の力が分かるはずです。

 

第百三十八章

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(1)

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