高木教育センターのありふれた日々(14)

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 Godwill not let you be tempted beyond what you can bear

(1)

 26歳でアメリカから帰国したとき、私は

「無職で、貯金なし、資格なし、彼女なし、何にもなし」

  の状態に陥った。アメリカから名古屋の塾や予備校で雇ってもらおうと送った7つの履歴書は返事が来なかった。お金はアメリカで使い果たした。彼女をつくるヒマなどなかった。生きていくことで精一杯だったのだ。

  When I came home fromAmerica, I had no job, no saving, no certificate and no girlfriend.  Nothing really.  From America, I had sent 7 resumes but noresponse. 

  それで、実家の近くのアパートの一室で塾を始めるしかなくなった。人口1万人ちょっとの三重県の片田舎なので、都落ちと言うか「負け組み」とさえ言えない状況だった。

  Ihad no choice but to start my own school in a small apartment house near myparents’ house.  I was a loser.

 

  そこから塾を軌道に乗せて、英検1級に合格し、名古屋の塾に勤務を始めるまでの10年間は、銀行の融資を受けるため親戚に頭を下げまくり、英検には何度も落ち、結婚は向こうの親に反対され、散々な目にあった。

  Inorder to get more students, to pass the 1st grade of STEP test andto begin to work for schools in Nagoya, it took me 10 years.  I had to ask my relatives to obtain aloan.  I failed in the English tests manytimes.  My wife’s mother opposed to ourmarriage.

 

(2)

  やっと危機を乗り切れるかと思った40歳の頃に、奥さんと別居となった。ちょうど、バブルがはじけて名古屋の仕事がなくなり、少子化と、大規模塾の進出が重なり、プライベートな生活も仕事も危機に陥った。

  At the age of 40, we wereseparated.  The bubble economy having continued fromaround the end of the Showa period collapsed at that time.  I lost my job in Nagoya and the number ofchildren in Japan had decreased.  A bigschool opened near our town.  My privatelife and business fell into crisis.

  そこで、危機を脱出する方策を考えた。子供たちの大学進学時期と重なりお金が必要だったのだ。取れる対策は2つ。1つは、英語と数学の塾から5科目の塾に転換させること。つまり、横方向への拡大だ。

  Ihad to find the way to escape the crisis. My children went to schools and I needed much money.  There were 2 ways..  The one was to teach not only math andEnglish but also science, Japanese and social studies.

 

第百三十九章

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」(2)

 

もう1つは、指導する学年を高校生に広げること。つまり、縦方向への拡大だ。

両方やることにした。

The other was to teach senior high schoolstudents.  I started both of them.

 

 それは、中学校の理科・社会・国語と、高校の英語・数学をマスターすることが必要ということを意味した。10年間センター試験を連続して受けた。京大は7回受けた。文系だったので「数Ⅲ」の独学は大変だった。

  So I had to study hard.  I took センター試験 10times.  I took the entrance exam to theUniversity of Kyoto 7 times.  It was hardto study math especially.

 

(3)

  ところが、それでも不況は収まらず少子化は進み続けた。そこで、通信生を募集することにした。マスコミを使えるわけがないので、普及しだしたSNSを利用することにした。Youtube に動画を投稿し、アメブロを書き始め、storys に投稿し続けた。

  We were still in recession andthe number of students was decreasing.  So I decided to start the correspondent courseI didn’t have enough money to use mass media. SNS was spreading.  I began tocontribute to Youtube and started blog.

 

  動画は34万回再生、ブログは「受験生ランキング1位」となった。しかし、それでも子供の教育資金の返済をすると生活ができないほど追い詰められた。万事休すかと思ったら、塾生の子たちが「京大医学部」「阪大医学部」「名大医学部」などに合格し始めた。

  Mypictures were played back 340000 times  Ameba blog examinees ranking has beenNo1.  However it was still difficult topay back for the loan of my children’s tuition fee. I was almost over. Atthat time, my good students passed the entrance exams to very good studentslike 京大医学部、阪大医学部、名大医学部

 

  ふと気づいてみたら、英検1級・通訳ガイドの国家試験・国連英検A級・ビジネス英検A級に合格し、中学レベルは5科目指導が可能になり、高校数学と英語が指導できる講師になっていた。塾は、北海道から九州まで通信生がいる地元の優秀な生徒が集まってくれる塾になっていた。

  I could passed someEnglish tests and had some correspondent course students from Hokkaido toKyushu.

 

 よく

「どうしたら、そんなに勉強が続けられるの?」

 と聞かれる。やりたくてやってきたわけではない。危機的状況に陥らなかったら

「名古屋大学教育学部卒業の、英語講師」

  で一生を終えていたはずだ。ネットなど無関係のジジイになっていたはずだ。高校生に混じって京大を受けるなんて狂気の沙汰と思っていたことだろう。

  Mystudents sometimes ask me

“Why can you continue tostudy so long?”

 This is just a coincidence.  Somecrises helped me.  Without such crises, Imight be just an English teacher.  I wasnot good at SNS.  Taking the entranceexam to the University of Kyoto must not have been mine.

 

 では、

「ピンチは忌むべきものか」

 と尋ねられたら、なんとも言えない。避けたいものではあるが、ピンチがなかったらこれほど真剣に人生を生きていなかったのは間違いない。

  Then

“Are all the crises bad?”

 I cannot say yes or no.  Withoutsuch crises, I could not confront my life so seriously.

 

新約聖書のコリントの信徒への手紙一(コリント人への第一の手紙)の10章13節

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。  

Notemptation has overtaken you but such as is common to man; and God is faithful,who will not allow you to be tempted beyond what you are able, but with thetemptation will provide the way of escape also, that you may be able to endureit.

 

  私はバツイチだし、特に何かに成功したわけでもない。とても胸を張って語れるような人生を送っているわけではない。ただ、クリスチャンでよかったと思っている。もし、イエス様の言葉を知らなかったら、ヤケ酒で身を持ち崩したかもしれない。DV夫になっていたかもしれない。

  Igot divorced.  I’m not successful.  My life cannot be a model to anyone.  However it must be good to be aChristian.  If I don’t know thescriptures, I might have become DV man.

 

第百四十章

「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」

出典「新約聖書」-マタイによる福音書(マタイ伝)第七章http://imgp-a.dena.ne.jp/exp1/20090123/110/155350829_1.jpg

「新約聖書」-マタイによる福音書(マタイ伝)第七章
私は塾で授業をする時に、

  つぎつぎの閉鎖が相次ぐ塾業界だけれど、30年以上にわたり支持されてきた。同じ業界の人から、その秘訣を尋ねられることもある。それは、自分がクリスチャンだったからかもしれない。

「目先の利益より塾生の方の満足感を優先してきた」

 と言うと、きれいごとに聞こえるだろうか。

 

 合格判定テストのコンピューターやソフトのデータ収集は大金がかかった。それで、投入する資金が回収できるか誰にも分からない。英検1級などの資格試験も、勉強のためにも受験料もお金がかかった。センター試験を10回受けると、18万円。京大受験は受験料、交通費、宿泊代をふくめて7回で50万円くらいかかった。

「京大合格の英語力、数学力が本当に必要か。

 疑問に思わないわけではなかった。

 

 でも、踏み切った時は

「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」

  という聖書の言葉が背中を押すのだ。私は北勢中学校時代、本当に自分の学力中が知りたかった。合格可能性が知りたかった。四日市高校時代は、解けない数学の問題を前に呆然としていた。

「誰か、解き方を教えてくれ!」

 という切実な思いがあった。だから、塾生の方が望んでいることは、すぐに分かった。それを実現するには思いだけでは足りない。行動に移さないと、信仰と言えないのだ。たとえ、困難な事態が起こっても、神様は乗り越えられない試練は与えられない。何とかなる。そう思ってきた。

  私の友人の塾経営者は、私が勉強に使うお金をゴルフ、ギャンブル、飲み代、愛人に使っていた。そんな塾経営者に負けるわけがないと確信していた。

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