神さまありがとう番外編その7

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 生きづらさを生きやすさに変えるわたしの工夫

ーわたしが全面告知した理由

かれこれ3~4年ほど前になりますが、初めて”発達障がい当事者”としてのわたしに注目してくれた新聞社記者さんがいました。「全面告知してだいじょうぶですか?」と事前に聞いてくれましたから、「はい!顔も全面出していただいてかまいません。すべてありのままお話しします」と即答しました。

予想以上に大きな写真で新聞に掲載していただき、話した内容も上手に編集して掲載していただきました。

仲間からは「こんなに全面に出してなんともないか?」「いじめられていないか?」とずいぶん心配されました。「告知は慎重にしないと生きていけなくなる」というコメントももらいました。その都度「だいじょうぶだよ、心配ないよ、平気だよ」と答えていましたが、ほんとうは・・・・。

それまでも、なんとなく目立っていた事と、行動がちょっとおかしかったらしいので、めざとく見つけた近隣の小学生や中学生、高校生ら、特に女子高生らからの陰湿ないじめを受けていたのです。罵声、見下すような目線、電車に乗れば女子大生らから「馬鹿がいる!」「きちがいだけど人手がないから働ける」と露骨に話題にされる、「さっさと死ね」「まだ生きてるよ、あいつ」と指さされる事もしばしば・・・。

告知してからはさらに「きちがい」「粗大ゴミ」「ごきぶり」「死ね」、こういった暴言をぶつけてくる男子高生もいました。小学生からもひやかし、からかいを受けました。お店に入れば、さっと視線攻撃と無視、オーダーしてもなかなか商品を出してくれない」といった、町中からの圧力、さらに家の前に女子小学生?らが集まってきてはわたしの聴覚過敏をはやし立てました。

医療関係者や支援者らによる講演のほとんどは「子供サポート」「子供のために」「子供・子供・子供・・・」、これだけ生きづらさを引きずっているのに、大人は置いてけぼり、だれも目を向けてくれないやりきれなさや孤立感、悲しさ、絶望感・・・。

それでも全面告知をやめなかったのは、他の当事者らに勇気を出してほしかったからです。隠れていては気づいて欲しいものも気づいてもらえません。ただ嫌われる事を恐れて陰に潜んでいるだけでは、成人の生きづらさの核心は理解してもらえないのでず。「勇気を出して、みんな出てきて!みんなで声をあげようよ!」という暗黙の主張だったんですけどね・・・。

おかあさんたち(?)が、少しずつ立ち上がって理解を広めるためのイベントを開催してくれるようになりました。NHKさんが特集を組んでくれるようになりました。賛否両論あるけど、まずは取り上げてもらえただけでもすごい前進だとおもいませんか?

親やお医者さんたちが、これだけ全面協力してくれるようになったんです。ただ一部の女子中高生からの陰湿ないじめは相変わらず続いてるのは確かです。複数の女子に囲まれて視線攻撃を受けていますよ、今でも。

それさえ相手にせずにいれば、他は孤独感や生きづらさはほとんど感じなくなってはいます。

周囲の理解や配慮を期待して待っているのも1つの方法ですが、自分たちでできる工夫として何ができるかを一緒に顔を合わせてトークできる場作りが合ってもいいのではないかと思えます。

20代~30代の若い当事者は、さすがに柔軟性があってうらやましいほど、よく集会を開いているようですが、シニアクラスの人たちは、どうしているのでしょうか?

わざわざお金をかけて遠方の当事者会まででかけていっては、かろうじてうっぷんをはらして満足するだけでいいの?

地元で、がんばって環境を整備していきませんか?偏見・差別は少しずつ減ってきています。今は当事者らの意識改革が問題だと思います。

堂々と「わたしは発達障がい者ですよ。それが何か?」と普通に言えるようになるためには、何を、どうすればいいのか、模索の毎日です。

ちょっとテーマから外れる内容になってしまいましたが、工夫の原点は「周囲に伝えていく」事だと思ったので、思うところを綴ってみました。

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神さまありがとう番外編8

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